論文の概要(その4)アインシュタインはどうだった

投稿日 : 2021.07.04


5.How about Einstein?

ナタンソンの1911年の論文が発表されてから、アインシュタインがボースの原稿をみて、それを土台にして理想気体の量子凝縮(BEC)を理論的に予言するまでの期間に、彼がナタンソンの1911年の論文を読んだという直接の証拠を、筆者は見つけられませんでした。

一方、彼とナタンソンが見も知らない関係ではなかったことを示す、すくなくとも2通の手紙があります。

一つは1915年に彼の友人のベッソへの手紙で、「いま、リボフの理論物理のナタンソンと彼の連れと一緒にここにいる、彼らを好きになった」と述べています。この「彼ら」にナタンソン本人が含まれているかどうかは定かではありませんが、なんとなく、彼以外に興味が向いているように感じるのは邪推でしょうか? 少なくともナタンソンと物理を話し合ったという形跡はありません。

もう一つは、彼とナタンソンの共通の知人であるM.スモルコウフスキーが1917年に亡くなったあと、未亡人の連絡場所をナタンソンに尋ねた手紙があります。

彼とナタンソンの世代は違うし、筆者の印象ではタイプが正反対で、ナタンソンはどちらかというと地味で、アインシュタインは派手な性格なので、互いに好んで接近するようなことはあまりなかったのではと感じられます。

従って、ボースの原稿を見た段階で、彼の頭にナタンソンの論文が浮かんだとはとても思えません。しかし、ソルベー会議のロビーでの議論や、その後のエーレンフェストなどから、ナタンソンの論文についての彼らの意見は十分知っていたと考えるのは自然でしょう。

筆者はここで、話の本質からすこし脱線はしますが、ボースの原稿を見てアインシュタインが少々あわてて、ばたばた自分の論文をまとめて発表したらしい印象が、ナタンソンの論文を彼が引用しなかった理由を探るアプローチとして、筆者の論文の表題にある"psychological aspects"の一部になっているといえます。

そして、M・デルブリュックの次の論評を引用しました。

There is evidence of haste in Einstein’s handling of the paper
as Bose is not credited with his initials. Also, the paper
is astoundingly brief and abrupt. It has no literature references.
I have a strong suspicion that Einstein cut it short,
perhaps even rewrote it. At the end of this four page paper
there is a highly unusual footnote, a kind of thunderbolt
that says, “Bose’s derivation of Planck’s law in my opinion
constitutes an important step forward. The method
here employed also yields the quantum theory of the ideal
gas, as I will show later.” Who would not like to have such
a footnote to his paper!

次はその論評に掲載されている図を引用したものです。IMG_1093 (1).jpg

詳しくは、元の論文、
Delbruck, Max L. H. 1980: Was Bose-Einstein Statistics Arrived at by Serendipity? Journal of Chemical Education 57, pp. 467–470.
を参照ください。