凡例(木村高敦『武徳編年集成』の目的や留意点)

投稿日 : 2023.07.31


高敦が『武徳編年集成』を書いた理由や方針は、その最初に「凡例」として箇条書きによって述べられています。筆者の所蔵する木活字版の「凡例」のコピーを文末に示しますが、次は筆者が意訳した要約です。

「凡例」

1)徳川家康75年間の生涯の事績を、事実に基づいて(*時系列に沿って)記す。

2)本文より一文字開けて記した部分は、自分としては「裏」が完全にとれていない事項である。(*参考のため記した)

3)大須賀 康高 (1527年-1589)が述べたという形で書かれている徳川の歴代記(*具体的には示されていない)や、平岩親吉のよるという『参河後風土記』などの偽書には、いい加減なことが多く書かれていて多数の間違いがあり、家康に対して失礼であるばかりではなく、家来たちの活躍も正しく記されていない。ここではそれら偽書における名前の修正などを、家伝や古文書と比較して完全に吟味修正した。したがって、そのような書物と内容が違っているといわないでほしい。

4)往々にして偽書では、誰かの軍功については一応事実を聞いて書かれているとしても、その人物を知らないので、間違って伝えられている部分も多いものである。ここでは実際に調査して修正した。したがって、その書物と違っていることもある。

5)いろいろな書物では、昔の人たちの諱(*いみな:死後の名称)が勝手につけられたり、間違っていたりとばらばらなので、ここではできるだけ修正した。そのため書物にある諱が違っていても、間違いだと思わないでほしい。

6)いろいろな偽書では読み手を喜ばすために、伝わっている軍功を別人のものとしたり、昔の話を聴き間違えたりしているので、ここではそれを糺した。

7)戦死者や夭折した人の諱が後に伝わっていないと、同じ名前の人がいると、故人がまだ生きていたかのように間違えてしまう。ここではそこを正しく記した。

8)応仁以来、天正の中頃まで、朝廷が荒廃していた。そこで諸家が賄賂を与えて官位を買うようなことも多く見られた。ここではそのような非合法で怪しい官位については古い記録によって吟味し、怪しいものは官位としては採用しなかった。

9)信長や秀吉のような三公(*太政大臣・左大臣・右大臣のような高位に人)についても、官位が違法なものはその旨明記した。また、忠義を尽くした人を冒涜するようなことについては、その間違いを糺すことを、自分は生涯の仕事として努力した。

10)足利、織田、今川、武田、上杉など、徳川以外の家の事項は、徳川の事績に対する時代のマーカーとして記している。同様に、茶器、絵画などについての記述も、同様な意味である。

11)姉川の戦、三方が原の戦、長篠の戦、長久手の戦については、自分の父、根岸直利が『四戦紀聞』として生前に著している。しかし、その要点はここでも漏らさず記した。なお、『四戦紀聞』を記した後にも膨大な資料が集まってきたので、本書の記述の内容が『四戦紀聞』と違っているものもある。

12)関ケ原の戦いについては、自分は『武徳安民記』31巻に記したのでここでは書かないが、その期日などに関係する事項はもれなく記した。

13)難波の戦(*大阪冬の陣、夏の陣)については、64巻から89巻で詳しく記した。

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