思いがけなく

投稿日 : 2023.06.22


筆者が親から受け継いでいるものに図のような小冊子があります。45c69876b9a3286ed66a3394b3e1cfed1cc75d83.jpgもう数十年前のある時のこと、これを読んでみたいなと思ったことがありました。というのは、パラパラと和綴じの文書を眺めると、神君(徳川家康)だとか、姉川の戦いとか、味(三)方ヶ原とか、松平忠輝とかという文字が目に留まったからです。

『武徳編年集成』とはどういう書物なんだろう?

しかし、残念なことに筆者は墨で書かれた文字を読むことはできませんでした。というのも、筆者は大学の物理学教室で講義や研究をしていましたので、古文書を読む必要もなく、読み方の勉強の機会など全くなかったのです。

それから後のこと、3.11の大震災が起き、あることで作家の玄侑宗久和尚さんとお話をさせていただけるようになり、また、三春町の歴史研究家でもある藤井康さんをご紹介いただきました。

藤井さんは筆者の持つ系譜などの一部などをご多忙中にもかかわらず、快く翻刻してくださいました。この不思議なご縁によって、筆者も多少古文書を読むことができるようになりました。

さらに、最初はネットで公開されている『武徳編年集成』を読んだり、図書館の蔵書で読んだりしていましたが、あるとき同書の木活字版全93巻を入手することができました。

少しずつ読んでいるうちに、著者の木村高敦氏の熱意を感じて、思い切って現代文にしてみよう、そうすれば、手持ちの小冊子の内容と比較できるだろう、そう思いました。

それから数年ほどかけて全93巻をなんとか読み終え、2016年にブログとして公開しました。今回は便宜上、それを次の独立のサイトに分離して公開することにしました。

徳川家康一代記、『武徳編年集成』を読む (現在原本を再考して順次公開を始めました)

また、この『徳川家康一代記を読んで』 では、現代文にする作業の過程で筆者が興味を持った話題や感想を、エッセイとしたものです。(公開時期はまちまちですし、最近になって加筆したり、新しく追加したりしています。)

筆者はこのエッセイを記すにあたって、次の点を意識しています。

1)歴史学の実証主義の影響で、現在の歴史学者たちは、一次史料以外は研究上は価値が薄いとしているそうで、『武徳編年集成』のような史料は二次史料として彼らの研究論文や解説に引用されることはほとんどありません。しかし、日本では、公文書が公然と破棄されたり、忖度によって改ざんされたりすることが、今に始まったことではなさそうですし、本当の情報はむしろタブロイド誌やネットの投稿に書かれていたりするので、二次史料や偽書、そして小説などの創作物もふくめて、すべてに真実の断片が含まれていると評価して、そのような断片をジグソーパズルのピースとして全体像をみる方が楽しいと筆者は思っています。専門家は新しい一次史料を見つけ出して論文にするのが生業ですが、その主張をもとに新しい説を提案します。しかし、それが(絶対とまではないにしても)真実であるかのような印象を専門家以外の人々に与えることがあります。このようなことは、近年、コロナ・ウイルスの性質や予防法、ワクチンの効果などについての専門家といわれる方々の話を聴いて、私たちが経験してきたことです。

2)この道の著名な専門家の小和田哲男氏による『武徳編年集成の史的考察』によれば、『この歴史書は家康の一代記の中ではもっとも詳しいもので、それ以前に書かれた幕府の編纂した歴史書や諸家の家譜の間違いを糺すために書かれたが、間違いも多い』とあります。氏は、間違いのいくつかも明示されてはいますが、「多い」とあれば、「この書物はだめだよ」という印象を不本意にも与えてしまいます。

同様な効果は、量子力学の端緒を拓いた、マックス・プランクが、量子の不可弁別性という量子の最も基本的な性質を初めて意識して、プランクの考案した輻射公式の欠点を除く理論を提案し、論文として公表したポーランドの学者について、「彼の理論は不十分で、自分の理論にはそのようなことはない」とのコメントをしたおかげで、その後アインシュタインはじめ多くの著名な科学者が、そのポーランドの学者の論文を引用せず、戦後になって初めてその重要性が認識されたという例にみられます。筆者はそのポーランドの学者の論文が長らく引用されなかった理由を調査して、科学史の論文として公表したことがあります。筆者による元論文のダウンロードもできます。この研究の経緯は、『あるポーランドの学者の残照:L.ナタンソンの論文をめぐって』に記しました。

筆者は『武徳編年集成』の価値がもっと高まる時代が来るだろうと感じます。

3)『江戸時代の歴史書は、徳川史観があるので注意がいる』というコメントがあります。しかし、歴史に史観があるのは当たり前で、そのどれが正しいかという判定を主眼とするより、複数の史観による歴史を平等に比較することによって、自然に真実が浮かび上がるものではないかと筆者は思っています。