13 バトルの始まり

投稿日 : 2021.12.23


筆者たちの論文は1992年の2月12日にPhys.Rev.Lettersという米国の専門誌に届きましたが、それから11月まで何の音沙汰もありませんでした。

論文を然るべき専門誌に投稿すると、編集責任者はその内容がわかる複数の査読者を決めて原稿を読んでもらい、出版の是非についての意見を求めます。

もともと専門誌はその分野のお互いよく気心の知れた学者たちが集まってできた学会の機関誌としてできたもので、論文の内容については著者の意見を尊重して、異論がある場合はその学者が別の論文で発表したり、雑誌に設けられた別のページにコメントするようなものだったようです。しかし、論文の数が増えてくると、その機関誌に投稿される論文の質を高めたり、あまりに荒唐無稽な説が出版されることを避けたり、間違いや、盗用、剽窃、改竄などを見つけるために査読という仕組みが作られたようです。

この役を引き受けた人はなかなか大変で、義務感と己のプライドを掛けて事に当たるのですが、多くは著者の意見を尊重して、合理的な理由で論文の質を高めるために誠実に役目を果たします。しかし中には立場を利用して己の意見を著者に押し付けるような人も出てきます。ひどい場合はある専門分野で有力な学者たちがある種の村を形成して、仲間内にはゆるく、外部には必要以上に厳しく判定する例もあるとか耳にします。このように、しょせん人のやることですから、どうしてもそのような学問以外の要素も混入するのも分野によらず学者や専門家の世界なのです。なにせ論文は著者の野望の実現や生活に直結する可能もありますから、生臭くなるのも不思議ではありません。というわけで、論文を掲載するにはこの面倒なプロセスを乗り越える覚悟が要ります。

さて、確かその年の9月の中頃のこと、Mysywowiczから長いファックスが届きました。彼にしてはかなり怒りを込めたような気配の感じられるもので、いわく:

「査読結果が届いたので送るので見てほしい。2番目のレポートはまったく馬鹿げていると思う。さっそく編集者たちに絶対に反論すべきだと思う。それでも、PRLが出版を拒否したらすぐに別の雑誌に投稿しなければと思う。了解しますか? 明日あなたに電話する」というもので、数人の査読者のレポートが続いていました。

編集長は査読の結果を知らせて来たのです。

「上記の原稿は査読者によって査読されました。そのレポートを同封します。これによると、この論文はおそらく何らかの形で出版する価値があるが、Physical Review Lettersに要求される重要性と幅広い関心という基準には合致しないと判断します。Physical Review誌に投稿した場合、その論文の出版は同誌の(*別の)編集者が決定し、さらなる審査を求める可能性もあるが、彼らが我々の査読者のレポートを入手することは可能です。なお、Physical Review Bに投稿する場合は、私たちの査読者のコメントには必ず送り、照合を容易にするために論文に付与されたコード番号を引用してください」

さっそく査読者のレポートに目を通しますと、査読者の典型的なパターンが読み取れる興味深いものでした。
その概要をここで紹介しておこうと思います。

まず彼が馬鹿げていると述べた査読者の意見のポイントはこうでした。

「励起子分子の凝縮を探す研究は数十年まえから行われている。その間、成功したというような報告が繰り返し出てきたが、試料の均一性、測定上の問題など、様々な理由で間違いであったことが証明されている。だから、今更新しい方法によって「Progeress]とか言って、曖昧さのない最終的でもない報告を出したところで手遅れだ、ただ曖昧な話を繰り返して出すだけである。このような”Progress"を出したいなら別の(Phys.Rev)とかにだされるのがよい。そして「本当に決定的な結果が出れば、PRLに投稿したらよい」

これは典型的な威圧タイプのレポートです。筆者はこの査読者は研究の面白さ、科学の本質を理解できない、秀才肌の方だろうなと思いました。科学は結果でなくプロセスだということの理解が乏しい方かとも。そして、物事を完全否定することの難しさを理解できない、幸せな方だとも僭越ながら思いました。そうしておそらくこの方が報告書を編集長へ返すことを遅らせたのかもしれないとも邪推しました。

また、この査読の場合、最初に一人の査読者が原稿を読んで、これは掲載を拒否すべきだとの判断をして、その理由に試料の問題を指摘したらしいことが次のレポートからわかるのですが、自分の決定を裏づけるために、ここで紹介するレポートを書いた査読者に意見を求めたようでした。念を入れるということでしょうが、本来は自分の責任で判定する勇気がいるのではなかったかと思います。その分、議論が速く終息します。これは査読制度の匿名性の欠陥でしょう。やがてこれはAIの仕事になる時代が来るのではないかと思います。

次のレポートは著者に好意的なものでした。

「(実験結果の)試料依存性については著者は十分に対処していて、議論は筋は通っている。この実験結果がBECの証明になっているかどうかについては議論が分かれるだろうが、結果は確かにドラマティックである。スペクトル幅が狭くなることは重要である。そしてシグナルの密度依存性は、古典論とは逆になっている。似た効果は引用文献6の亜酸化銅の場合の発光スぺクトルにも見えている。

著者たちの説明が仮に正しくなくても向かい合わせの二つの光がなければ効果が見えないということは興味深い。

YakhotとLevichより新しい時間の問題についての最近小論文がある。PRLにあるStoofの論文や引用文献をみるように。

ひとつコメントを加えれば、この効果が見えるようになる閾値がないように思える。だから臨界値を越えているようすが見られない。位相共役光のスペクトルの幅は密度とどうなっているか?何かドラマティックに狭くなっているようなことがあるか?

いろいろ問題はあるものの、この論文は確かにこの重要な課題に対する”Progeress”である、したがって出版することを勧める」


次のレポートは典型的な打っちゃり型である。

「いろいろな査読者たちのコメントはこの課題への関心、賞賛、そしてこの専門誌に掲載することの妥当性などについて述べている。私は彼らの考えのほとんどに賛同できる。

私の意見がある。自分の考えでは、著者は重要な点を見逃している。すなわち、BECは自然に起きるのではなく、すでに凝集物がある場合により速くまたはより効率よく起きるという可能性についてである。この点は現在かなりの関心を集めている問題であり、一人の査読者が指摘しているようにStoofのPhys Rev Letters 66, 3148 (1991) の論文を調べるべきだった。Stoofは、スピン偏極した水素の凝縮に興味を持っているが、彼の考えをフォノンとの衝突が熱化に重要である励起子-励起子分子系の場合に拡張されるべきであると述べている。

確かに、理想的な(相互作用しない)ボソン気体の観点から、CuClのかなり高密度の励起子でこれらの実験を考えることは完全に合理的ではない。そして凝縮された理想的なボソン気体の特性は、たとえばロンドンの超流動に関する本に記載されているように、よく理解されている。私にとって相互作用は不可欠であり、ダイナミクスやその他の物理的な兆候は非常に興味深い。

この原稿に対する私の2つ目のコメントは、位相共役発光をもたらす非線形光学相互作用に関係するものだ。なぜ、コヒーレントな励起子分子集団がこのような結果をもたらすのか、私には理解できない。著者らにとっては当たり前のことかもしれないが、一般の読者にはもっと明確に伝えるべきだ。そして、著者らは、ある物質の凝縮物の存在が、より多くの凝縮物を見つけるためにどのような助けになるかという、本当に重要な問題に目を向けるべきだ。しかし、それはこれに続く次の論文のテーマだろう。

いずれにせよ、現在の形では この原稿は'Phys. Rev. Letters'に掲載するには不適当だと思う」

この査読者は筆者たちの論文の価値について一応の理解をしていて、興味を持っているのはありがたいことです。この査読者の意見は筆者にも理解できることが色々あります。しかし、「このままの形では」というものの、どこまで直せばいいかの助言はあまり明確ではありません。そこで、査読者としての具体的な指摘では、イリノイ大学のStoofの論文を引用すべき事、そして位相共役波についての説明を加えるようにという点だと考えました。

非線形性の発現についてのミクロな機構については誰も分からないことで、筆者たちはそれを明らかにしようという試みを提案しているのですから、それを明らかにしなければ論文にならないという意見には到底納得できませんでした。

そしてむしろ、筆者が歓迎したことは、この論文が固体物理の範囲を超えて偏極水素原子の問題などより広い意味でのBECに対する共通の課題を扱っていることを、この査読者が認めたことでした。

さて、どう反論すべきでしょう。