はじめに

投稿日 : 2022.04.16


ロシア軍がウクライナの国境を越えてからすでに50日を超えました。
21世紀の今になって、時計の針が100年前にリセットされ、戦争のおぞましい姿のすべてが目の前に展開されるとは、すくなくとも筆者には想像もできませんでした。

筆者が知る第二次世界大戦や太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、コソボ紛争、湾岸戦争やアフガニスタン、中東で繰り返されてきた戦争などなど、その映像は主に映画やTVが主でした。しかし、SNSの時代になった現在の現地からの映像の多彩さや臨場感は比べ物になりません。こんな出来事をここで取り上げること自体、筆者の分を越えたことで、実際あまり愉快ではありません。しかし、この不幸な歴史の証人に不本意ながらなってしまったので、個人的な感想をメモすることにしました。

ウクライナと接しているポーランドには、戦禍を避けた膨大な数のウクライナの難民が詰めかけ、一般家庭を始め、公共機関や大学、行政などが積極的に受け入れています。この国の人々はウクライナとはガリシアと呼ばれる地域などの長い歴史の中で、数多くの悲劇を経験し、国境も何度も変更されてきたことは世界史で良く知られたことです。ところがこの国が今再び戦禍に巻き込まれる可能性が高い、つまりロシア軍の次のターゲットにされる可能性が高いとも言われていて、実際その危険が迫っているらしいのです。その理由はこの地域の歴史にふかくかかわっているようですが、それを理解するための筆者の持つ知識はほとんどないといえます。

ただ、筆者は以前にポーランドの物理学者、L.ナタンソンの論文について調べた縁もあって、隣国での戦禍がこの国の人々にはどのように映っているのだろうと気になりました。そこでポーランドのサイトを散策しているとき、次のサイトに掲載されているBogdan Frymorgenのエッセイを発見しました。彼の生い立ちは写真家でもある彼の写真集の説明で次のように述べられています。この一部を翻訳してみました。

『私は、第二次世界大戦が終わって17年後、アウシュビッツからわずか数キロのポーランドの小さな町に生まれました。しかし、子供時代を通して、私は奇妙な沈黙に囲まれていました。誰もユダヤ人について語ろうとしないのです。意味のない沈黙でした。隣人であり、友人であり、ビジネスパートナーであったのに。同じポーランド人なのです。祖父母だけが覚えていたわけではないのに、黙っていることにしたのでしょう。(中略)クラクフで大学に入学して初めて知識の水門が開かれました。

クロード・ランズマン監督の『ショア』を観て、それ以来、何もかもが変わりました。

裏切られた、騙されていたと思いました。私の考えでは、これは道徳的に間違っている。こうして、カジミエシュに魅了されるようになりました。それから何年も経ってから私はクラクフに頻繁に通うようになりました。(中略)『Kazimierz without words』の写真は、2006年から数年間かけて撮影したものです。遠い時代を思い起こさせながらも、それらは現代的で......しかし、決して新しいものには見えません。私は写真家として、過去とのつながりがまだ見えることを証明するために意識的に決断しました。確かに、1940年代からほとんど変化していない場所も多いのですが同時に、旧ユダヤ人地区が急速にジェントリフィケーション(高級化)していることにも気づきました。ユダヤ人の記憶を守ろうとする機関や社会運動もありましたが、バーやクラブ、レストランが増え、カジミエシュはクラクフのファッショナブルな街へと変貌を遂げていきました。商業化の波が過去の記憶を覆い隠していきます。

私のカメラは、このアンバランスを解消しようとしました。観光客の群衆をフィルターにかけ、この場所の隠喩的な空虚さに焦点を当てたのです。2011年に『Kazimierz without words』を出版したとき、このプロジェクトが私の人生においていかに重要な役割を担ってきたかを実感しました。個人的なことを言えば、このプロジェクトは、長年私を苦しめてきた有害な沈黙を祓い清めたのです。自己啓発と魂の探求のサイクルを完成させたのです。このアルバムは、私たちが忘れてしまわないように、言葉の有無にかかわらず、語られるべき物語を伝えてくれました』

彼はこれまで24年間、BBCワールドサービスに勤務し、ロンドン在住でRMF FMラジオの特派員としても記事をRMF24に掲載している他、このサイトに定期的にエッセイを執筆しています。ここでこの一部をメモすることにしました。残念ながら筆者は彼のポーランド語で書かれた原文を読むことができませんが、翻訳してみた印象では、彼の多彩な活動がにじみ出た筆致が伺えました。毎日世界中からSNSやYouTubeを通じてあふれているウクライナの現場の動画や、TVニュースで流される映像や解説を見聞きできます。しかし、それだけではなかなか現地の人々の意識のもとになっている歴史や感情を理解するのは筆者には難しいことです。彼の文章にちりばめられている多彩な固有名詞に、筆者のあまり意識したことがない当地の人々の歴史が伺えますし、ロンドン在住であることによって可能な表現もあり、彼の時評の是非とは別にとても興味深く思いました。

ロシア軍がウクライナに侵攻したのは2月24日だと公式に言われていますが、彼の2月22日の夕方から続くエッセイをすべて翻訳して全文をここに掲載することはできません。ここでは筆者の印象に残るフレーズだけを主にDeepLのインターネット無料翻訳サービスを使って翻訳してメモとすることにしました。元のポーランドの語で書かれた全文については、各エッセイのタイトルにURLをリンクすることで示しました。そこに引用されている写真も興味深いと思います。なお、Googleの翻訳サービスでは、URLの検索からサイトを丸ごと邦訳できますので、彼のブログだけでなく、RMF24のすべての記事を読むのも興味深いものです。

紛争が拡大してポーランドに戦禍が及ぶことや、さらに世界中、つまり私たちにも戦禍が拡がらないでほしいものです。この紛争を絶好の機会ととらえ、兵器や弾薬の在庫処分や新たなビジネスをと、いろいろな思惑が蠢いているようです。今回の戦争で、第二次世界大戦後の世界の枠組みが大きく変化するのは間違いなさそうです。インターネットで盛んにおこなわれる戦闘ゲームとは違って、現実はやり直しができません。どんな形のゲームオーバーを迎えるのかがとても気がかりです。第三次云々を望む人は世界中ほとんどいないはずです。うまく回避できることを願うだけです。