9月のはじめに

投稿日 : 2022.09.16


9月2日 W kalejdoskopie

『ロシア軍はマリウポルの劇場を再建しはじめた!

600人が死んだとされる地下室にコンクリートを流し込んだのだ。瓦礫の下から救出されなかった犠牲者の痕跡は消えてしまった。

将来、マリウポルの舞台が再演されることになるだろう。殺され、見捨てられ、コンクリートで固められた人々は、無言の観客となるだろう。彼らは、古典の大砲に心を動かされることはないだろう。チェーホフのドラマやゴーゴリの喜劇に心を奪われることもないだろう。拍手することもないだろう。彼らは、マリウポリがウクライナに戻るまで、ここを集団墓地として留まるだろう。明日でなくとも、いつかは・・・』

冒頭のこの文章は恐ろしい。舞台の奈落の底から、幕の裏から彼らの目が浮かびそうである。

こんなことも著者は記している。

『今日、EUのある加盟国は、77年前に終わった戦争の賠償を他の加盟国に要求すると言った。どのように行うかは不明だが、おとぎ話に出てくるような金額が提示されている。

このことは、両国はとっくに協定を結んで終わった話である。(こんなことを今更いうのは)すべては、古傷を引き裂くためである。

ベルファスト大学のルーク・モフェット博士に話を聞いた。彼はこのテーマを専門としている。その会話の中で、私が長く覚えている言葉がある。

政治家は紛争の犠牲者を利用して、自分たちに有利になるようにポイントを稼ぐ。犠牲者が交渉の道具になるのだから、これは偽善的な行動だ

この話はポーランドの与党のボス、「法と正義(PiS)」のヤロスワフ・カチンスキ党首が、「ポーランドは、第二次世界大戦中のナチスの占領による被害について、ドイツに正式に賠償を要求することを決定した」と公式に発表したことを指している。このような非現実的な要求を今この時期になぜ? 多分、もっと打算的な狙いがあるのだろう。

著者は同じポーランド人としてこの発言を強く非難している。

https://www.jiji.com/jc/article?k=20220902043455a&g=afp
https://ct24.ceskatelevize.cz/svet/3526482-polsko-chce-po-nemecku-reparace-za-nacistickou-okupaci-uvedl-kaczynski

9月5日 Odysei część dalsza

ここで著者は子供たちの新学期について述べている。まったくの被害者である子供たちの事だけにその部分を意訳することの許しを得たい。

『新学期の始まり。それは常に戦争と結びついている。しかし、互いの記憶としては、一方は他方の追体験に取って代わられるものだ。かつての勝者は、今は怪物と化している。

今年、約20万人のウクライナの子どもたちがポーランドの学校で学び始める。彼らのすべてがポーランド語を話せるわけではないが、身の危険はなく安心して勉強できる。前線で戦う父親のこと、家計を支える母親のことを心配しながらではあるが。ウクライナに残っているクラスメートのことも。(リヴィウのポーランド語学校の一つで、空襲警報に備えて学校のシェルターに隠れる練習をする生徒と教師たちの写真が添えられている)

新学期が始まっても問題は変わらない。ロシアによって荒廃させられた国でも学習が始まっている。学校では空襲警報がかき消されないよう、終業のベルが鳴らされている。子供たちと教師は空襲警報に耳を傾けながら、「戦争はいつ終わるかわからない、これが私たちウクライナ人のオデッセイなのだ!」と。

地下鉄のホームにもベンチが設置され若者たちが勉強する教室になっている。街が騒然となると、地下の学校は避難してきた人たちでいっぱいになる。

これは秘密授業ではない。これはモスクワへのあからさまな平手打ち、反抗だ。ウクライナはそのためにある国家ではないし、ウクライナ人は国家でもない。将来の世代に対する威嚇は失敗している。

住宅地を砲撃するのは簡単だが、ウクライナの学校をロックするのは難しい。

そのような駅がたくさんある。もしプーチンがハリコフの地下鉄の切符を買って乗ったなら、組織的で統制のとれた国家を見たことだろう。車両がアパートになっている。年金生活者、女性、子供たち。しかし、男たちは違う。彼らは前線で戦っているのだ』


筆者は幼いころ、それは日本が太平洋戦争で敗北濃厚なころだったが、空襲を避けてある農村へ母親と疎開していた。家族が時々実家から訪れていた。幼い筆者にはもとより何のことか分かるはずはない。しかし、家族にとっては互いの無事を確認する少ない機会だったことは今はよくわかる。