17 地上に生物が生きてこられたわけ

投稿日 : 2021.07.24


私たちが生きていくためには、まず空気が必要ですし、水もなくてはなりません。しかし、そもそも生物が地球上で生まれるためにもっとも基本的で奇跡的だったことは、太陽の表面の温度がおよそ6千度だったことです。

もし、これが今の10倍や100倍だったら、到底今のような原子や分子が安定ではなかっただろうし、おそらく生体などできそうもなかったと想像できます。これは次のグラフからわかります。solar.jpgこのグラフは太陽の光の色別(波長別)の強度を表したもの(スペクトル)です。横軸が波長(ナノメートル)縦軸は強度です。黄色に塗られたスペクトルは大気の薄い上空での測定結果で、赤が海面での測定結果の例です。これらのスペクトルから、最も強いのは500nm付近で緑色です。地上に届く日光のスペクトルには大気による光の吸収のために複雑な窪みがあります。250nm辺りの波長は紫外線で、大気中のオゾンによる吸収によって地上での強度がかなり弱くなっています。しかし、天候による雲の量や、上空でのオゾンの濃度の変化で、地上に届く紫外線の量が変化します。紫外線を皮膚が吸収すると皮膚がんの原因になるので、毎日紫外線情報が公表されているのはこのためです。今の程度に弱くても注意がいるのですから、太陽の温度がもっと高いと、紫外線はもっともっと強くなり、日光を浴びることそのものが致命的になってしまいます。

大気圏外で測定されたスペクトルの形は、太陽光だけでなく、熱を帯びたものが共通に示すことが知られていて、熱放射のスペクトルと呼ばれます。このスペクトルの最も強い光の波長は、物体の温度が違えば変わり、温度が低いと長い波長へ、高いと短い波長へずれていきます。また、短い波長では急に強度が弱くなります。しかし、20世紀になるまで、このスペクトルを正しく説明する理論はありませんでした。

1900年にプランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck, 1858-1947)は、光の強さはhνというエネルギーを持った何か(後にフォトンと呼ばれます)の数で表されるものだと考えました。そして、現在プランクの放射公式とよばれる次の理論式を見つけました。

equation(162).pngここでcは光速、Tは絶対温度(0度が、摂氏ー273.15となる理論的に決まる温度)、kはボルツマン定数、hはプランク定数と呼ばれ、物理学のもっとも基本的な定数です。波長λの代わりに振動数νで表すと、次のようになります。

equation(163).png

上のグラフの滑らかな曲線は、この理論式を太陽の表面温度が摂氏5250度として描いたものです。

プランクの理論が発表されるまで、次の式が理論的に予想されていました。

equation(164).png

この式に従うと、ある温度Tの物体からすべての振動数(波長)の光が出て、しかも、振動数が高い(短い波長)光ほど強いということになります。しかし、ある温度Tの物体の持つエネルギーは、その温度で決まる値として限りがありますので、そこから無限に高い振動数(短い波長)の光が最も強く出てくるはずはなく、実情を説明できなかったのです。

プランクはエネルギーがhνという単位で測られるデジタルな量だという仮定を設けて、実験事実を説明することができました。しかし、この理論は既成の理論にこの仮定を加えて計算しただけのもので、hνの物理的な意味などを筋道だって説明するには不完全でした。そして、この問題をスッキリと解決できる理論が見つかるまで、実に24年もかかりました。

このように太陽のスペクトルの形や特徴を完全に筋道だって理解することは、非常に難しい研究課題でした。それだけに、最終的に問題が解けるまでにはいろいろな歴史がありましたが、ここはそれを紹介する場ではありませんので省略します。そして、17-aでは、現在知られている最終結果を「たとえ話」で考えることにしました。専門的な議論ほど厳密ではありませんが、参考にはなると思います。

以上のことからおわかりのように、もし太陽の表面温度は今の1000倍も高ければ、一番強い光の波長は、500/1000nmとなって、X線になることがわかります。毎日昼間にこんな光で地上がガンガン照らされるわけですから、とても私たちが住めるような環境ではありません。その意味で生物が地上に生き続けたのは、まったく偶然の出来事、奇跡だったわけです。というのも、最初は非常に高温だった太陽も少しずつ冷めて、今の温度になって初めてこの地球に生物が住める環境が用意されたのですから。

ということは、遥か未来には太陽も次第に冷えて、やがては地上は真っ暗な冷たい生き物が住めない環境になるはずです。

私たちは普段そんなことは考えませんが、夜空を眺めたり月を愛でたりするように、時には皆でこの奇跡を思い出すのもいいのではと思います。