何かが変わったような

投稿日 : 2022.05.23


5月15日からしばらく投稿が止まっていたBogdan Frymorgenの記事が、21日に現れました。

戦争は激しく続いています。しかし、この頃から RMF24に掲載される記事の選択がやや変化し、国内記事の占める割合が多くなったように感じられました。これが氏の記事の投稿回数の変化と関係するかどうかはわかりません。ロシアの侵攻当初に起きたポーランドへの大量の難民の流入によって起こされた喧噪や興奮が時間の経過とともに現実に少しずつもどりはじめ、また9日のロシアの記念行事の実態もあって、自国への侵攻への恐怖が、フィンランドやスウェーデンのNATO加盟問題によって分散された可能性もありそうです。また春の到来による日光の明るさが、人々の心持に反映したのかもしれません。もっともポーランドの現政権の立場をアッピールする必要性が何かの理由で増えたことによるのかもしれません。

5月21日の文章から印象に残った部分をメモします。

Wiosenne siewy

ここで著者は、民間人殺害の罪に問われた最初のロシア人兵士の話題や、アゾフスタルの降伏の映像を見た感想が述べられています。

筆者は次の文章が目に止まり笑ってしまいした。そんなことがあったのかと。

これは次のYouTubeにあがっている出来事についてのものです。

George W. Bush misspeaks, calls Ukraine 'Iraq' during speech | USA TODAY

"Tymczasem historia chichocze tysiące kilometrów na zachód, po drugiej stronie Atlantyku. Były prezydent Stanów Zjednoczonych, George W. Bush, chciał powiedzieć coś o Putinie, ale popełnił najgorszą gafę w swoim życiu. Mówiąc o Ukrainie i ataku na jej suwerenność, wspomniał o "nieusprawiedliwionej i brutalnej inwazji na Irak". Był jej autorem wraz z ówczesnym premierem Wielkiej Brytanii. Obaj panowie nigdy się do tego nie przyznali. Do dziś są wolni. Nie był to chlubny rozdział w historii obu krajów. A historia o nim pamięta. Putin także. Tłumacząc agresję na Ukrainę, kilkakrotnie wspominał o Iraku. Zygmunt Freud miałby na ten temat wiele do powiedzenia."

『一方、歴史は何千キロも西、大西洋の向こうで、くすくす笑っています。前アメリカ大統領のジョージ・W・ブッシュはプーチンについて語るとき、人生最悪の失言を犯してしまいました。
ウクライナとその主権に対するロシアの攻撃について語ったのです。ところが彼は「不当で残忍なウクライナに対する侵攻」というかわりに、「不当で残忍なイラクに対する侵攻」と言ってしまい、(しまったと苦笑いしながら言い直し)たのです。

彼は、当時のイギリス首相とともに、その侵攻を決めた本人です。でも、二人ともそれを認めたことはなく、今日に至るまで自由の身です。(この事実は)どちらの国の歴史においても、輝かしい勲章ものではありませんでした。歴史はブッシュを記憶しています。プーチンもそうなのです、彼はウクライナへの侵略を説明するときに、何度もイラクに対するアメリカの行為に言及しました。(ブッシュは無意識に口を滑らしたのかもしれませんが)ジークムント・フロイトは、このことについて多くを語ることでしょう』

プーチンの発言について、オリジナルの動画をYouTubeで探しましたが見つけられませんでした。代わりにテレ朝のニュースの動画が残っていました。


因みに次の動画もいかがでしょう? The Late Show with Stephen Colbert
https://www.youtube.com/watch?v=7dd2WS8sfFs

さて、日本のニュースがMRF24に掲載される例は少ないのですが、知床の観光船の事故の後は、21日に岸田首相が中国の南シナ海への進出に対する危機感を述べた記事がありました。しかし、その辺の海には地下資源があるらしいという程度の記述で特に強いメッセージがあったようには書かれていませんでした。


そして、22日、つまり昨日、"Japonia: Trzęsienie ziemi w okolicach Fukushimy
という、Arkadiusz Grochotの記事がありました。

流石に福島とあると「さて、どうだったのだろう」と気になるわけですね。もちろん福島原発との関係です。

"Trzęsienie ziemi o magnitudzie 6,0 nawiedziło w niedzielę okolice Fukushimy w Japonii. Nie wydano ostrzeżenia o tsunami, nie ma także doniesień o ewentualnych szkodach lub obrażeniach - poinformowała agencja Kyodo.
Epicentrum trzęsienia znajdowało się na Pacyfiku w pobliżu prefektury Ibaraki, a główny wstrząs miał miejsce na głębokości 30 km.
Wstrząsy wtórne były odczuwalne w prefekturach Miyagi, Yamagata, Niigata i Tochigi"

『日曜日、日本の福島付近でマグニチュード6.0の地震が発生した。共同通信社は、「津波警報は発令されておらず、被害や負傷の可能性は報告されていない」と報じた。
震源地は茨城県付近の太平洋岸で、主な揺れは深さ30kmで発生した。宮城県、山形県、新潟県、栃木県で揺れが感じられた』

そして福島原発を視察中のIEAE関係者の後ろ姿の写真が掲載されていました。

日本では原発事故の記憶を忘れたい向きもあるのでしょうが、今や福島は世界の”Fukushima”です。歴史は決して忘れてくれはしません。

先日ロシア軍がチェルノブイリ原発を占拠して、一時電気の供給が止まったらしいという報道がありました。そのとき、ベラルーシの大統領がすぐに電気を供給するように命令したとか。流石に慌てたはずですね。

福島第一原発の事故も、あの時期でなく、もうすこし季節がずれていたら、東京は今の姿ではなかったはずです。また、福島でなく新潟だったら・・。確率の問題ではありますが、何処で起きても不思議はない事故です。原発の是非以前の問題として、このことを想像するのはどうでしょう。