Jan Holzerの視点(その3):『レアルはバルセロナとどう戦ったか』

投稿日 : 2022.05.27


Jenže u současného Ruska se objevují rysy, u kterých jsem měl pocit, že jsou zapomenuté v minulosti. Na manipulaci a rozdělování společnosti vidím paralely s klasickými totalitarismy.
『現在のロシアをみると、世論の操作や分断というすでに過去のものと思っていたような特徴がみられ、古典的な全体主義と似ている』

非民主的な体制では、民主体制では暴力を使わないで解決できることを暴力によって解決をできる特権を行使できるものがいるものだ。全体主義体制と権威主義体制の違いは、イデオロギーの有無、権威主義体制ではこれがない。現在のプーチン政権を分析する上での最初にして最大の問題点は、ロシア国家は現在、イデオロギーを持っているのか? ということで、専門家の間でも意見が分かれている。この問題はプーチンの行動を見るうえで極めて重要である。

Podle vás má?
『そうなんでしょうか?』

彼は今の状態を作るために、いくつかの段階を踏んでいる。ロシアの侵略は予想できると自分は主張していたが、間違いではなかった。この侵略は民族的な路線に沿っていると考えている。「国境付近のロシア民族を守る」ということは、ロシア社会のすべてというか大部分が理解できるメッセージである。グルジア紛争、コーカサスの架空国家、トランシスニストリアへの支援はこれで理解できる。

民族的な路線はイスラム教の展開を示す人口動態からわかり、「白い」スラブ系ロシアには受け身で、破壊的といってよい。これはロシアの拡張の可能性を示し、本質的にナショナリズム的で、潜在的には帝国主義的な見方である。プーチンの視点は今月2月までは、国内に向けた権力正当化の手段だと解釈されていた。

A teď?
『では今はどうですか?』

Autoritativní režimy jsou nejradši, když se o nich neví. Šedé myšky. Nejdůležitější je, jak hrál Real Madrid a Barcelona.
『権威主義的政権は表に出たがらない。灰色のネズミ。最も重要なのは、レアル・マドリードとバルセロナがどのように戦ったかということである』
ここではこの赤字で示された中身が述べられ、権威主義の政権として、フランコ将軍時代が示されています。筆者はサッカーについてや、スペインの内戦についての知識が乏しいので、うまくまとめられませんが、帝国主義は全体主義の一部で、それが持つイデオロギーに普遍的な解釈が生まれると国内には使えなくなり、海外へ向かうものだというのは興味深く思いました。その例が20世紀の革命的社会主義だと博士は述べています。

フランコ体制は、すべての国民が熱狂的な関心を持つ名門サッカーチームの対戦の中に、静かに巧みに自分たちの施策を潜り込ませていたことを博士は指していて、それを表に見えない「ねずみ」と表現しているようです。これはサッカーだけでなく、エンターテナーや架空のアバターに置き換えれば、現代的にも非常に示唆に富んだものに見えます。