Dmitry Glukhovsky(Moscow):『メトロ2033』

投稿日 : 2022.06.16


小説『メトロ2033』の作者:ドミトリー・グルホフスキーのインタビュー記事があります。これはRuslan SuleymanovRoland Bathon両氏がインタビューを担当し、ドイツ・ケルンに本社のあるn-tvのサイトにロシヤ語、ドイツ語、英語版として掲載されています。現在と未来を考察するための一つの資料として興味深く、抄訳を試みその抜粋をメモします。

Q:プーチンが放ったウクライナ戦争について、なぜロシアの市民はもっと多くの抗議をしないのでしょうか。空襲シェルターにいるウクライナ人ほど、直接的に危険にさらされることがないからですか?

A:ウクライナ人と違って、ロシア人はこれまで役人との対決でいつも負けてきた,・・・・あらゆる試みが実を結ばなかった。何万人ものロシア人がウクライナ戦争に反対して街頭に出たとき、私は彼らが戦争を終わらせることを望んでいないことを確信した。彼らは無力感で結ばれていた。なぜなら、ロシア国家はこのような状況にある人々と出会うことがなかったからだ。・・・近年、プーチン政権が唯一うまくいっているのは、腐敗したメディアのプロパガンダで自国民を威嚇、弾圧、操作するからだ。

Q:戦争が始まってから、Ekho MoskvyやDozhdのような最後のかなり自由なメディアが閉鎖された後、人々はこの「完全な国家プロパガンダ」に対して諦めてしまったのでしょうか?

A:私見だが、まだ結論を出すには早すぎると思う。・・・戦争反対者は中傷され、排斥されるだけでなく、本当に嫌がらせを受ける。そのため、異なる意見を持つ人が、あえてそれを表明することがなくなってしまった。このような風潮に適応するための戦略のひとつが、簡単に説明すると「適合主義」である。人は、自分にとって原則的な意味を持たない問題については、多数派と思われる意見を持ちたがるものである。そのとき、もし当局が「人肉食のキャンペーンに協力しなければ裏切り者になる」と言えば、自分たちは人を食べないが、自分たちはこのキャンペーンに反対することはないだろう。そんな人たちは、必要なときに注目を浴びないように、旗を振ったり、どこかに「Z」の文字を描いたりすることがあるそうだ。同時に、それらの人々の本当の意味での戦争への犠牲意識は非常に低いことがわかる。

Q:このような大規模で積極的なプロパガンダも効果がないということでしょうか?

A:・・・・国民の同意が得られているような錯覚を起こさせる効果がある。そのプロパガンダは2つの柱で成り立っている。まず、反米主義、反欧米主義全般である。・・・次は、もちろん現実を完全に歪曲して、現在の攻撃的な戦争を、大祖国戦争、独ソ戦争の継続であるとするものである。これは、おそらくバルト人(注:バルト三国地域の民)を除いて、ソビエト連邦とその後その領土に住んでいたすべての人にとっての聖なる牛(注:神聖で侵してはならぬこと、批判や攻撃をしてはならないことがら)である・・・。

Q:この戦争で息子を殺されたロシア兵の母親たちは、なぜ黙っているのでしょう。なにしろ、数千人が死んでいるのだから。

Q:ひとつには、ロシア側の死傷者数が厳重に秘匿されていることだ。結局、プーチンがこの特殊作戦に関する法律を作った理由は、特殊作戦での死傷者を「平時」の国家機密とすることだ。だから、この戦争はロシアの関係者にとっての戦争ではない。戦争になれば、このような数字も公表されなければならない。。。。最悪なのは、死者の母親が確実な情報を得られず、息子に再び会えると信じて生きていることだ。

戦っているのは主に貧しい地域の人々で、彼らにとっては戦争が家族を養うための唯一の手段だ。これは、前線での凄まじい略奪行為も説明できる。そんな人たちにとって、ウクライナ東部の生活水準は一種の天啓といえる。兵士の死には、数百万ルーブルの金銭補償が続くが、これはまだ国家に余裕がある・・・・死者や負傷者は主にロシアの遠隔地からで、ロシアの主要メディアには映らない。もちろん、彼らも意図的に無視されている。すべてが断片化され、人々は他の場所との関連性を見出せない。だから、カタストロフィーという感覚はない。

しかし、明らかに負傷して帰国する兵士は数万人、死者3万人、負傷者10万人という規模になる。そして、この人たちを騙すわけにはいかない。・・・・彼らは、自分たちが何のために戦ったのか、相手にされなかったことを自覚している。最初はプロパガンダに洗脳されていたとしても、その後、自分たちが本当は何に直面しているのかを知ることができた。健康や仲間を失ってこわばっているはずだ。それが権力構造にどんな影響を与えるかは予想がつかない。

Q:ケルソンやマリウポルの征服は、人々の新ソ連への憧れを蘇らせたのでしょうか?

A:・・・・・・昔からソ連のノスタルジーはあった。それは復活したのではなく、むしろ今日のロシアの新帝国政策の燃料になっている。このノスタルジアを利用して、クリミアとドンバスが併合された。昔から、失われた皇室の偉大さを意識することはあった。これはロシアに限ったことではなく、植民地を失い、解体の途上にある他の帝国にも起こることだ。それは常に痛みを伴うもので、イギリスやフランスの社会の一部には、そこがいかに啓蒙的であっても存在する。あるいは、バルカン半島の一部の民族を蔑視しているハンガリー人の間でも。

わが国では、一般のロシア人が日常生活の中で人間の尊厳の尊重を感じる機会がない。彼らは無力で苦しく、貧しく、虐げられている。同時に、当局に提案する勇気もなく、抵抗しようとすれば容赦なく反撃される。こうして人々は、人間としての尊厳への憧れを大国への帰属意識に置き換え、自分たちの要求を国家に転嫁していく。・・人はプロパガンダに弱いものだ。

Q:なぜ、国外の多くのロシア人までもが、このいわゆる「特別作戦」を支持するのだろうか。何しろ、彼らは他の情報源にアクセスできるのですから。

A:・・・・・・.真実に触れるだけではダメだ。信じたいと思わなければならない。欧米に住むロシア人の多くは、その環境下での生活にあまり適応できていないのが実情だ。大帝国の臣民であるという最初の感覚から、その後、訪問した国々を見下し、見下すようになる。彼らは、言葉をしっかり学び、適応することを拒む。そうすることは自分たちを二流市民にしてしまうことになるからだ。そのため、ロシアからの復讐を煽る人の発言で満足してしまう。これらは、彼らが再び帝国の市民であることを感じ、復讐を果たすための希望となる。一般に、ロシア人はどこに行っても(これはロシア系ドイツ人やロシア系ユダヤ人にも当てはまる)、極右の政治勢力に投票すると私は見ている・・・。

Q:現在、多くのロシア人にとって重要な問題は、集団責任の問題です。ロシア人は、プーチン政権と戦ったのに。プーチンに責任があるのでしょうか?

A:ここで、哲学者たちも示唆しているように、罪と責任を分けて考える必要があると私は思う。ロシアの全体主義国家への変貌に抗議したロシア人も、ただ受け身でいたロシア人も、何の罪もないことは明らかである。・・・・ナチス・ドイツと比較すれば、ナチスへの支持率ははるかに高かった。そして、ロシアのプーチン支持に比べれば、はるかに熱狂的であった。今のところ、ベルリン・オリンピックスタジアムのように、街中で女性が喜びのあまり泣いたり、何百万人もの人々が集まってくるようなことはない。・・・・・・しかし、プーチンは、その責任を国民全体に転嫁することで、責任逃れの個人的な戦略をとっている。・・・・・責任に関する限り、問題は別だ。ロシア市民や国民であることは、責任を生じない。しかし、戦争は全ロシアとその国民の名において行われている。・・・・ロシアのパスポートを持ち、ロシアにルーツを持つすべての人の責任は、まず、戦争に賛成していないことをたゆまぬ努力で人々に思い出させることだと私は思う。そして第二に、ロシア人もまた、戦争によって困難な状況にあるウクライナの知人たちを、できる限り支援しなければならない。そうすれば、少なくともプーチン政権が現在、ウクライナや全世界との関係に与えている甚大な被害を癒すために何かできるはずだ。

Q:作家として、ロシアの人々に対して特別な責任を感じていますか?ウクライナの戦争について、ロシアの作家たちは一般的にどのような反応をしているのでしょうか?

A:戦争が始まった当初、2,000人の文化人が戦争反対の公開書簡に署名したことを思い起こしたい。今、政府関係者は、リュドミラ・ウリツタカヤボリス・アクーニンドミトリー・ビコフや私のような少数の作家だけが、戦争に対してはっきりとした意見を述べたと、あらゆる手段で装おうとしている。しかし、実際には何百人もの作家が戦争に「ノー」を突きつけている。戦争を支持し、クレムリンに仕えているのはごく一部の人たちだけで、彼らは、ソ連の懐刀でありながら作家ではない、・・・・。

私自身は、人の心に与える自分の影響力を過大評価することはあまりない。言葉を扱う人間、言葉を通じて観客とコミュニケーションをとる人間としての私の責任レベルは、雰囲気や意味を形成することだと考えている。友愛的で血生臭い、略奪的な戦争に対する国民の支持が、主に嘘に基づいていることを理解させなければならない。 人々は、誰も真実を消していないこと、そして、まだ存在していることを思い出さなければならない。

Q:いずれにせよ、戦後のロシアには何が待ち受けているのでしょう。

A:プーチンのやったことは、この国の終末的なシナリオを開くメカニズムを作動させたのではないかと危惧している。・・・長い目で見れば、ロシアそのものの崩壊につながりかねないと危惧している。しかも、それは戦争が始まる前にはまったく考えられなかったことだ。

モスクワにいる作家とこのようにインタビューできることに筆者は少し驚きました。ここで扱われていることはもちろんロシアの話です。しかし、同じことが、色々な国の過去、現在、将来の話だと思いました。