1. 緒言

投稿日 : 2009.09.03


『血球計算より放射線学へ:物理学を学んだ医師の実験と随想』 松枝 張 


1951年1月著者は故 K.K.教授のおすすめで慶大内科より東大第一内科(K内科)に転じた。同時に東大工学部応用物理学教室に研究生として計測学の講義を受けた。当時日本では物理学を学ぶ医師はまれであった。

申すまでもなく医学は多くの基礎的学問に支えられ、その結実として臨床医学がある。しかしながらこれは殆んどが現象学、経験の学問ともいえるものである。科学の進歩と共に何らかの意味づけを物理学に求めるのも自然の勢いと言うものであろう。けだしこの半世紀においてもっとも進歩した学問の一つは物理学であるからである。最も定性的、定量的と思われた化学の基礎は現在その説明を物理に求めている位である。

臨床面での一例をあげてみよう。我々は捻挫(sprain)の場合、局部の腫脹(swelling)や疼痛(pain)を取り除くために湿布を常用する。その作用機構に対する説明は現在も十分ではない。しかし、皮膚という半透膜(semipermeaple membrane)を境として、薬剤と体液(human solution)とが相互にイオン交換を起こしていると言う考えは当然浮かんでよい。生体は海水に近い生成物質よりなり、ある種の金属群を生体に付着させておくと二種或いは多種の金属間には電流が流れる。第二次世界大戦中、海水を中間物質としてAg,Mg電池が開発された事は周知の事実である。この様な考え方からすれば皮膚表面に塗る薬の容量(capacity)は荷電容量と考える事も出来る。この考え方の詳細は後述するけれども、我々の経験では薬の容量の重大性を教えている。単に皮膚に塗ればよいと言うものではない。薬の表面に薄膜ーポリエチレン膜の如きーをかぶせると薬効は増大する。この様な被覆体を用いない場合は、衣服等への接触や空気中への拡散等によって薬の容量は減少し従って薬効も減少する。最近分子生物学なるものが非常な勢いで発展しつつあるのも生物学を従来の分類学や記憶、経験の学問としての絆(きずな)からとき放ちつつあると言えよう。