2.血球計算(cell counting)について
投稿日 : 2009.09.03
内科医局に入って血球計算の誤差の著明さに驚いたのは1949年の春である。当時は戦後の混乱が残り、食事にも苦労する毎日であったから、研究器具を求めるのも一仕事であった。血球計算に使用するピペット(pipette)や計算盤(cell chamber or hemocytometer)も現在の様な一定の規準が守られていなかった。血球の様な微粒子(particle)を測定するには、上記の様な測定器具の誤差に加えて「poisson分布」、顕微鏡を覗き込んだ場合の眼のいわゆる「human error」等が加わる1)。
血液は1mm3中に450-500万の赤血球(erythrocyte or red cell)を含むがそれ自体大変面白い事である。自然は何故この様な7μ前後のいわゆるミクオンオーダー(micron order)のものを製作したかは第一の興味の対象になる。この点については後章でふれる。第二の点は天文学的とも言えるその数量である。これは恐らく表面積の拡大を狙い、赤血球界面における吸着性と放出性を最大限に求めた結果と考えられる。
さて赤血球の計算(red cell counting)を改良すると言っても文献も何もない戦後の事である。唯頭の中で思索を重ねるだけである。2つの新しい方法が考えられたが、その一つは計算盤(hemocytometer)上の赤血球を拡大投影してこれを光学的か或いは電子装置でプロットしてゆく方法である。electronicsの発達した現在では困難なことではないが当時は大変な費用と日時を要することが予想された。日本光学工業株式会社でその様な投影機(epidiascope)を開発しつつあったが、これはあくまで単純な光学的なものであった。電子走査線(electron-beam)を用いる事も勿論考えられたけれども、これは膨大な装置が入用で、とても実用性なきものと考えられた。後年英国でこの様な方式を開発した事を知ったけれども、戦時に用いられたレーダー技術の医学への導入といえよう。
他の一つの方法は赤血球を染色してこれを比色してみようと言う考えであった。著者は後者の方が実用性ありと考えたので、当時東芝研究所のT.K.博士のご指導によって始めてフィルターの意義を知ったのである。即ち濃厚な赤色フィルターは血色素(hemoglobin)の多少を否定しうる事を知った。
東大工学部応用物理教室のY.S.教授の指導の下にともかく簡単な光電比色計(photo-electric colorimeter)や分光光度計(spectrophotometer)を製作した。これらはgalvanometer, photo-cell 或いはphoto-tube、を使用し、電源としては電池を使用した。極めて原始的なものであるが、それだけ正確さは信頼しうるものであった。
光電比色計(photo-electric colorimeter)の場合、cuvetteの位置やその傾きは意外の誤差を生ずるものである。当時のcuvette保持装置は信頼性が薄いので、結局は密封したcuvetteを用い、2つの穴から資料の希釈液を出し入れすることにした。(図1)
漏斗(funnel)と大注射器(large infector)を用いると赤血球を混和均一化する事も同時に出来る。比色による赤血球計算は実際は一種の比濁(nephelometric)であるので、cuvetteの位置の変化は誤差の重大な増加を招来した。この固定されたcuvetteのために後述の「透光流動現象(streaming transparency)を発見するのである2)。貧困もかえって発見の動機となることが多い。
さて当時正確なガラスフィルターすら入手し難かったために著者は赤血球を球形化(spheric)して光をその表面において完全反射さす事を考えた。赤血球が濃厚な食塩水中では金平糖(confetti)になる事は知られている。病的な赤血球(pathelogic esythrocytes)も亦球形化の傾向を示すから健全なものとの差は少なくなるであろう。この様な病的赤血球を分光分析してみると血色素(hemoglobin)の光学的影響は相当減少している。分かりやすく言えば高張食塩水(hypertonic saline solution)の中では赤血球はその色が白っぽくなるのである。また、赤血球の金平糖状になった刺棘状部分(some peaked and emproidered parts)は光の波長以下であるので判然とは判らなくなる。この部分では光のdeflaxtionやreflaxtionが起こっているのであろう。1.5%~2.5%NaCl中では赤血球はshericとなるが3%以上ではやや圧しつぶされた形となり、10%NaCl中では木の葉の様な形に圧しつぶされる。(図2)
微粒子(particle)の直径が4~8μの場合光の透過に特殊の現象が起こり直径の大小にあまり関係しなくなる3)。(図3) 赤血球を球形化し5~6μ前後とした理由の一つである。種々の理由で3%NaClを希釈液とし(diluted solution)、血液を200倍~400倍に希釈し、赤色フィルターを用いて光の透過率T(transmissivity)を測定してこれより赤血球数を算定した4)。前記の固定cuvette中で赤血球を希釈液を混和しながら光の透過率(T)を測る。混合して静置後1~2分の間にTは急に2~3%上昇する。これは赤血球に換算して25~40万の誤差となる。赤血球が球形に近い場合はこのような現象は起こらない。(図4B) 扁平形に近い場合は図4Aの変化が起る。各種濃度食塩水中の赤血球のT及び形態変化は図5及び図2に示してある。固定cuvetteを用いてTの測定を色々行っている間に以上の現象が確かめられた。
血色素係数(color index)の低い患者は3%NaCl中で扁平形が多いのでこの現象は著明であり、反対にcolor indexの高い患者には反対の傾向がみられた。この現象に類似した発見はその後K教授によってなされstreaming transparencyとなづけられた2)。赤血球が球形化しつつある状態は図4及び図5の方法によってそれぞれ容易に確かめられる。この2方法は後述の研究に発展してゆくのである。希釈液中の赤血球の落下状況を観察すると、各血球は相互に近づいて来て相接すると忽ち反発する如く離れてゆく。これは恰も静電現象であるかの印象を受けた。赤血球の荷電については種々の文献があるがこの現象も後述の実験の考え方に発展してゆくのである。