論文の概要(その2)プランクの脚注の影響力
投稿日 : 2021.06.30
もう一人、この時期ナタンソンの論文を読んだ学者がいます。ナタンソンはミュンヘンのゾンマーフェルトという学者に送っていました。ゾンマーフェルトも量子力学の発展に大きく寄与した著名な物理学者で、若い学者たちの面倒をよくみたことでも知られ、多数の優れた物理学者を輩出させました。
その年の9月、ドイツのカールスルーエで、The 83rd meeting of the German Natural Scientists and Medical Doctors Associationという学会が開かれ、ゾンマーフェルトは講演をしました。それをナタンソンがあらかじめ知っていてかどうかはわかりませんが、彼は論文をその前にゾンマーフェルト送っていたことが、会議が終わってミュンヘンに帰ってからナタンソンへ送った礼状からわかります。しかし、ゾンマーフェルトはその会議でナタンソンの理論について言及した形跡は会議録からは読み取れませんでした。彼がナタンソン論文に注意を払わなかった理由は、後で述べるようにいろいろ想像できます。
そうして、ソルベー会議が始まり、会議録のドイツ語版とフランス語版が後日出版されました。ドイツ語版は化学者のネルンスト、フランス語版は、ド・ブロイの兄のモーリスとランジュバンが編集を担当しました。この会議録は日本語にも翻訳され、世界中の多くの学者が読んだ書物です。
プランクはこの会議の講演で、ナタンソンの理論についてなにも触れなかったことが会議録からわかります。しかし、会議録には、次のようなプランクのコメントが脚注にあります。
この脚注は、「自分の理論はナタンソンの最近の論文にあるような曖昧さの全くないものだ」というような趣旨でした。
このフランス語版とドイツ語版の原文は、筆者の英語訳と合わせてKokowski博士の論文に紹介されています。
Ce calcul ne prête à aucune ambiguïté et ne renferme en particulier plus rien de l’indétermination dont L. Natanson
a récemment parlé dans le Phys. Zeitschr., t. XII, 1911,p. 659 (Planck 1912, p. 104, fn. 1).
Diese Berechnung ist vollkommen eindeutig und enthält insbesondere nichts mehr von der Unbestimmtheit, welche
L. Natanson neuerdings mit Recht zur Sprache gebracht hat (translated by Arnold Eucken 1914; cited by Lange
1992, p. 22, and by Straumann 2011, p. 12).
This calculation is completely unambivalent and in particular no longer contains the indefiniteness about which L. Natanson has recently spoken with justification (firstly translated by Stahel 2000, p. 246; repeated by Straumann 2011, p. 12).5
プランクがナタンソンの論文を会議の前に知っていたかどうかは分かりませんが、少なくともこの脚注を書く前に読んでいます。そして筆者は戦前にこの論文を引用したのはプランクだけだと考えました。しかし、Kokowski博士によれば、他にもいたことが次のように記されています。
To my current knowledge and in contrast to N. Nagasawa (cf. fn. 37 above), it is the second (after Planck 1912) citation of the German version of Natanson’s article(1911c); and the second citation (after Zakrzewski 1911) of the English version (1911a).
Konstanty Zakrzewski informed Natanson about Krutkov’s article (1914a) in the letter on 10 February 1914 (Zakrzewski 1916 (archival document), folium 52 verso –folium 53 recto): “Przerzucałem natomiast w ostatnim «Physik. Zeitsch.» rozprawę Krutkowa [1914a] i cieszę się, że Pańska praca o promieniowaniu znalazła uznanie. Choć doprawdy od promieniowania i quantów głowa już puchnie: coraz to coś nowego,
a stare wątpliwości wcale się nie zmniejszają”.
In an English translation: “I was browsing Krutkov’s article in the last «Physik. Zeitsch.» [1914a] and I am glad that your work about radiation has been appreciated. Though indeed radiation and quanta already give me headaches: there is more and more of the new, and old doubts are not reduced at all” [transl. – M.K.].
地元の歴史学者には脱帽です。
筆者がすこし彼らの研究に貢献できたらしいことは、ゾンマーフェルトがナタンソンの論文を読んでいた確証を見つけたことです。Kokowski博士は次のように記しています。
The fact was noticed by N. Nagasawa 2018, who quoted and translated an appropriate excerpt of this letter into English: “[...] Ich bin Ihnen aufrichtig dankbar, dass Sie mir regelmässig Ihre sehr interessanten Arbeiten zusenden, die ich stets genau verfolge; ich werde mich bald mit meinem Carlsruher Vortrag über Quantentheorie und einigen Anderen revangieren. […]” (cited by Nagasawa 2018, p. 397). In English translation: “[…] I sincerely appreciate that you regularly send me your very interesting works, which I always thoroughly follow; I will soon return the favour with
my Karlsruhe lecture on quantum theory, and some other papers. […]” (Nagasawa
2018, p. 398).
素人の調べでも専門家の役に立つものだなと思いました。実際ゾンマーフェルトはエーレンフェストにナタンソンの理論について「どう思う」と尋ねている手紙もあります。そしてエーレンフェストは「自分もナタンソンの論文を読んだが、・・・自分は前に同じことを学会で話した」のような返事をしています。
こうしてみると、ナタンソンが自分の論文をドイツの専門誌に出せたのは大成功だったのですが、読み手の方がそれぞれの考えで無視したと考えられます。
特に、プランクが「あの論文には問題がある」というような脚注を書いたことが、多くの研究者の注意をナタンソンの論文から離す大きな要因になったのではないかと筆者は考えました。
もちろん、プランクに悪意があったのではなく、むしろ彼はナタンソンの理論をよく理解し、二人はいい関係が保たれていた証拠がいろいろあります。その点もKokowski博士の総論で述べられています。
次はヤギェウォ大学所蔵の写本目録に収録されている、1915年のクリスマスにプランクがナタンソンへ送ったクリスカードのコピーです。
にもかかわらず、このようにプランクのような影響力のある人物の一行のコメントが、時に想像以上の効果を生んでしまったといえます。
つづく
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