Remaining questions 残された疑問
投稿日 : 2021.07.05
以上の考察によって、ナタンソンの1911年の論文が長らく忘れられていた理由には、色々な側面があることがわかりました。
しかし、どうしても分からない疑問が残りました。それは1924年にボースの論文が発表され、アインシュタインの量子凝縮に繋がる論文を発表した時に、ナタンソンが沈黙を保った理由です。
素晴らしいとも、なんとも、コメントが見つからないのです。どうして? 彼は統計力学を専門としてきた理論家ですので、そのころその問題に興味がなくなっていたとは筆者には思えず、超流動などについての情報も、1937年にKapitsaが発見するよりずっと早く、その現象を知っていたと思える手紙があります。したがって、すべてを知りながら、どうしてコメントがなかったのか?
これは今も筆者には分かりません。ただ、ポーランド版のウキペディアでは、
Dnia 21 kwietnia 1923 r. pod domem prof. Natansona eksplodowała bomba. Wybuch znacznie zniszczył elewację budynku, bramę wjazdową i sień, ale ofiar w ludziach nie było. Sprawców zamachu nie udało się ująć. Opinia publiczna łączyła ten zamach z poglądami głoszonymi przez profesora[2].
1923年4月21日、教授の家が爆破され、建物のファサード、入口ゲート、ホールが大幅に破壊されたが、死傷者はいなかった。 犯人を逮捕することはできなかった。 世論はこの攻撃を教授が表明した見解と結びつけた。
とあります。これは、クラクフの地元の新聞に掲載された、歴史学者のMarek Żukow-Karczewskiによる記事に書かれているそうです。
Zamachy w Krakowieとは、同年11月にクラクフで起きた暴動です。原因は複雑ですが、戦後の経済危機で、非常なインフレと投機によるということです。しかし、4月の爆破事件とどう関係するのかは記事を確認できていないので筆者にはわかりません。
いずれにせよ、ナタンソンの周辺はこのころ騒然としていたかもしれず、それが筆者の疑問に関係しているのかも知れません。
筆者が論文を締めくくるについて、二つの言葉を引用しました。一つはワイズコフの、
There is a strong trend towards a clear- cut, universally valid answers that exclude different approaches. Whenever one way of thinking is developed with great force and success, other ways are unduly neglected. It was aptly expressed by Marcus Frierz, the Swiss physicist-philosopher: “The scientific insights of our age shed such glaring light on certain aspects of human experience that they leave the rest in even greater darkness” (Weisskopf 1981, pp. 22–23).
と、Wolffの、
Citation is not a working technique, but also an ethics, the acknowledgement of obligations and a respect for truth
(Wolff 2003).
です。そして、一つ提案をしてみました。
それは、「研究者が論文を投稿すると、ビッグデータが自動的に過去に公表されたすべての関連論文のリストをタグとして添付し、ブロックチェーンで改竄ができないようにしてはどうか」というものです。
現在は論文に引用する論文の選択は著者に任されています。したがって、うっかり重要な論文を引用するのを忘れたり、意図的に選ばなかったりする可能性があります。また査読者も見落とすこともないとは言えません。そこで、このようにすれば、適切な選択と、著者の研究の価値の正当な評価ができて、科学の無駄のない進歩に貢献するのではと思いました。
もっとも、やがてビッグデータが人の手を借りずに判断までする時代になれば、投稿すると「あなたの論文は二番煎じだから意味がない」と投稿を拒否されるかも知れません。
さて、最後に残された疑問は、「筆者がどうしてガルダ湖の上で身震いをしたか」その原因です。
筆者の論文が発表されてすでに時が経ちましたが、いま思い起こすと、それは、次のアインシュタインの名言だという言葉の意味ではなかったか?と思います。
『創造力の秘密とは、その源を隠すことにある』
どのような状況で語られた言葉なのかを調べていないので、確かなことは言えないのですが、表面的な印象で、アレッとその昔思ったことがあるのです。彼がボースの論文のことを隠したわけではないので、関係ないとは思いますが、彼の奇跡の業績の背景に映る学者たちの名前が、ふと思い浮かんだのです。
ネタがあるのは、創造といえるのか?
隠すとはどういうことだろう?
という疑問がなお残されました。
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