ナタンソン邸の爆破

投稿日 : 2024.03.04


拙文『残された疑問』で、筆者は、1924年にボースの論文が発表され、アインシュタインの量子凝縮に繋がる論文を発表した時に、ナタンソンが沈黙を保った理由がわからないと記しました。そして、彼が統計力学を専門としてきた理論家として、このような問題に当時興味がなくなっていたとは筆者には思えず、超流動などについての情報も、1937年にKapitsaが発見するよりずっと早く、その現象を知っていたと思える手紙があります。したがって、すべてを知りながら、どうして? 思ったのです。

ただ、ポーランド版のウキペディアでは、『1923年4月21日、教授の家が爆破され、建物のファサード、入口ゲート、ホールが大幅に破壊されたが、死傷者はいなかった。 犯人を逮捕することはできなかった。 世論はこの攻撃を教授が表明した見解と結びつけた。とあります』これは、クラクフの地元の新聞に掲載された、歴史学者のMarek Żukow-Karczewskiによる記事に書かれているそうです。

そして『Zamachy w Krakowieとは、同年11月にクラクフで起きた暴動です。原因は複雑ですが、戦後の経済危機で、非常なインフレと投機によるということです。しかし、4月の爆破事件とどう関係するのかは記事を確認できていないので筆者にはわかりません。いずれにせよ、ナタンソンの周辺はこのころ騒然としていたかもしれず、それが筆者の疑問に関係しているのかも知れません』と記しました。

ごく最近(2024年2月)この事件の背景についてクラコフの知人からコメントをいただきました。これは上に述べた新聞記事を裏付けることなので、以下に内容を要約し、筆者の補足も加えて記しました。

ナタンソンの家が爆破された前の年の1922年12月16日、ポーランドの大統領に選挙で選出されたガブリエル・ナルトヴィッチ大統領が、就任後間もなく右派の暗殺者によって射殺されました。この大統領はサンクト・ペテルス大学からチューリッヒのポリテクで勉強した、当時の水力発電や電化、今日でのスマートグリッドの専門家でした。

当時の右派のプロパガンダによれば、彼は『ポーランドに住むユダヤ人たちによって選ばれた』とされたそうですが、それ嘘で、ポーランドの全人口では、ユダヤ人は少数で、この選挙ではすべての選挙民が投票した結果だったそうです。

Xにある記事では『訃報◆16日、ポーランド初代大統領、ガブリエル・ナルトヴィチ、暗殺。57歳(誕生:1865/3/29)。農民党に所属し、保守層の反感を買った。出席していた国立美術館の展覧会で、至近距離から3発を撃たれてほぼ即死。在職日数2日。 =百年前新聞社 (1922/12/16)』とあります。

当時は、ヨーロッパで反ユダヤ主義イデオロギーが台頭していた時期で、ヒトラーが権力を握ったドイツでは非常に危険なものとなっていました。ナタンソンの家の爆破の犯人は不明ですが、彼がユダヤ人だったので、これが爆破の原因だったのかもしれないということです。

当時のポーランドにおけるユダヤ人について、知人は次のようにも述べています。

『彼らがポーランドに招かれたのは13世紀半ばのことで、ポーランド王家のある王子によって招かれた。(ウキペディアによれば、彼はボレスワフ・ポボジュヌィ)彼らが彼の役に立った。というのは彼らはお金を扱うことに非常に長けていたからで、実のところ、彼らは王室の使用人という身分ながら、税金を取り立て役を果たすことになった。また、王子は彼らに独自の地方行政とユダヤ人裁判官がいる独自の司法をゆだねた。(ウキペディアの説明では:『1264年8月16日、ボレスワフはヴィエルコポルスカのユダヤ人に対して、カリシュの法令と呼ばれる諸権利を与えた。これはユダヤ人に対して与えられた最初の成文法による保護条例で、ユダヤ人社会における司法権の自立、金融業と商業の自由を保障していた』とあります)

そのため、ユダヤ人の習慣の違いとは別に、彼らの持つ特権と国家財政の警護という役割のために一般のポーランド人には嫌がられた。

また、昔から多くのユダヤ人は自営し金貸しも多く、ポーランド人の方は放蕩する傾向があったので、ユダヤ人は多くのお金を稼ぐことができポーランド人から利子をとりたてたので、地元の人々に嫌われた。

経済体制が封建的なものから資本主義的なものに発展すると、多くのユダヤ人はとても裕福になり、地元の人々の恨みを益々買うことになった。

19世紀初頭、人種差別思想は特にドイツで表面化したが、ポーランドにもその思想に共感する人々がいた』

したがって、『ナタンソンは彼らのターゲットになった』

ポピュリズムの政治利用は常の事で、このナタンソンの事件はいつどこで、どんな形で再現されるかはわかりません。その危険は経済格差の拡がった今、益々高まってきています。ポピュリズムの根底にある各種の差別の恐ろしさを感じます。