2 エキゾチック原子(exotic atom)
投稿日 : 2021.12.18
筆者は半導体の結晶の中で光でできる励起子(exciton)というエキゾチック原子(exotic atom)とよばれる水素原子に似た構造ながら原子核のない量子を長らく研究する縁がありました。そこで、その話の前に代表的なエキゾチック原子として知られている、ポジトロニウムという電子と陽電子(電子の反物質)の結合し、水素原子の電子とそっくりのエネルギー状態を持った量子を紹介します。
シュレーディンガーの理論では、スピンに関係する現象の説明ができず、それには特殊相対論が必要でした。この理論によればおなじみのエネルギーに含まれる静止質量m0が座標系によらず不変であることから、という量もローレンツ変換で不変であることが得られます。
この関係式からエネルギーEを計算すると、平方根にはプラスとマイナスの値がありますから、正のエネルギーだけではなく、負のエネルギーがでてきます。しかし、量子力学では、マイナスのエネルギーを持った状態の波動関数はあり得ませんので、エネルギーは正の値と考え、電子の速度がcより遅いとすると、次のように近似ができます。
これから、
という見慣れた電子のエネルギーが導かれます。
しかし、電子のマイナスのエネルギーを理由もなく無視するわけにはいかないので、ディラックは空間(真空)にはマイナスの電子の状態はあるものだと考えました。ところがマイナスのエネルギーを持った電子には最低のエネルギーはありません。つまりマイナスの値の最低といえばマイナスの無限大ですので、エネルギーは少ない方に果てがなく、底なし沼に電子は落ち込むことになって、何処かの値で電子が安定することはありません。そこでディラックは、すべてのマイナスのエネルギー状態はプラスの電子で埋め尽くされているものだと考えました。電子ですからパウリの排他律によって、同じエネルギーを持った電子の数はスピンが反対の対ですからその電子たちは身動きができない状況が安定でおられると考えました。この電子の海はディラックの海とも呼ばれます。
ここで、もしこの海の電子が一個フォトンを吸収すると、普通の電子が一個生まれ、同時に電子の海には泡のように電荷が+である以外はすべて普通の電子と同じ量子ができると考えました。この粒子が実際に実証された陽電子です。このような現象が起きるに必要なフォトンの最低のエネルギーは1.022 MeVであることが知られ、これから真空にはそのようなエネルギーの差(ギャップ)があることが分かります。
一方、こうしてできた電子と陽電子はクーロン引力で引き合いますので、このために出来た量子がポジトロニウムです。この量子は、1934年にステパン・モホロビチッチ(Stjepan Mohorovičić、1890 -1980)が理論的に予言し、水素原子と同様な光学遷移がありうることを示しました。彼はこの量子をelectumと呼びました。彼は計算だけでなく、宇宙空間でそれを分光学的に探しましたが、うまく行かなかったそうです。
次の図は彼がこの量子を理論的に予言した1934年の論文の最初の部分をコピーしたものです。図1には、陽電子と電子が重心の周りを二重星(double star)のように回転するモデルが描かれていて、論文では束縛エネルギーや光学スペクトルが理論的に論じられています。
因みにポジトロニウムは1951年にマーチン・ドイッチによって実験室で実証されました。彼は2002年に85歳で亡くなりましたが、興味深い追悼の記事があります。
余談:ステパン・モホロビチッチ
ステパン・モホロビチッチの上に紹介した論文のイントロに興味深い記述があります。彼は陽電子について、アメリカの物理学者で哲学者でもあったロイターダール(Arvid Reulerdaehl (1876 -1933) がプラスの電荷をもった粒子があるという形で予測していて、positomと呼んだと述べています。
筆者は、モホロビチッチもロイターダールもよく知りませんでしたので少しネットで調べていると、思いがけなく穏やかでない記事が見つかりました。実際に詳しく関係資料をまだ読んではいませんが、一応メモします。
というのは、ロイターダールによれば、アインシュタインの相対論はスコットランドの技術者、ロバート スチーブンソンが重力論の理論を1903年にプロイセン科学アカデミーに出したのを、当時会員だったアインシュタインが失敬したもので、アインシュタインの理論は二番煎じだと主張していたというのです。
この事情は、”Einstein's Opponents: The Public Controversy about the Theory of Relativity in the 1920s”
Milena Wazeck、Cambridge University Press, 2014/01/09 にあるようです。この書物の文献リストにスチーブンソンの論文が見えます。事が事だけに念のために読んでおくのも興味深いかもしれません。
モホロビチッチが特に自分の論文の最初にロイターダールの業績に触れているのはなぜでしょう?
実は彼もかなりの数の論文によってアインシュタインの相対性理論に反論していたそうで、当時の相対論や反ユダヤ主義に係る激しい学会の雰囲気がここでも伺えます。一方、彼はザグレブの大学を卒業後ゾンマーフェルトの下にもいて、当時の分光学の議論をつぶさに経験したと思われ、この論文にそれが反映されたのではないかと想像できます。ゾンマーフェルトは色々の国の若い人材を多く育てたことでもよく知られていますので、彼もその一人だったのでしょう。保守的な思想と、新しい量子力学やアインシュタインを理解する国際的に開いた思想とのまじりあったゾンマーフェルトの複雑な心情に、当時のドイツの知識人の苦悩を見ることができます。
もっとも、モホロビチッチはそればかりではなく、地球物理への貢献が残されています。例えば、彼の父親のアンドリアの理論的に発見したモホロビチッチ不連続面(モホ面)と今呼ばれている、地殻とマントルとを区別する面を1914年に実証し、これは地震の震源の深さを決定するための方法になっています。更に月の起源の理論を提唱して1924年には月の地殻にもモホロビッチの不連続性があると主張しました。これは1969年にアポロ・プロジェクトで確認されました。
なお、理論化学者のM.ランディッチによるモホロビチッチに関する興味深いエッセイがありますが、こちらはあとで概要を紹介するつもりです。
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