16 久しぶりの興奮
投稿日 : 2021.12.30
試料の作り方が限られているという状況から脱却したいと思いながら、新しいレーザー装置を整備することに比べて試料作りは、経験や時間・経費などが多く必要で、小規模な筆者の研究室で進めるにはハードルが高いものでした。
1990年頃でした。これまでの気相法による薄片単結晶ではなく、ブロック(4x5x10mm 3)の塩化銅の高純度の単結晶を使った実験が実現しました。この結晶はフランクフルトのMohlerから提供してもらったものです。
これはHasuoとHatanoが中心となって行った実験で、その結果は後日短いレポートとして発表されました。次のグラフはその論文から引用したものです。
これらはこの試料で励起子分子の二光子共鳴付近を励起した時の励起子分子が縦波励起子と光に崩壊するときにみられる、いわゆるML発光のスペクトルです。このスペクトルの特徴は、みかけML発光帯のように見える発光が、入射光の強度が非常に強い時に特徴的に表れ、入射フォトンのエネルギー、、を変えると位置が変わっていくように見えることでした。筆者は非常に新鮮な刺激をこのデータを見たときに感じ、久しぶりに興奮しました。
というのは、発光帯が最大になるフォトンエネルギー、、と入射光のフォトンエネルギー、、に次のような関係があるらしかったのです。
ここでEbmは励起子分子の束縛エネルギーですから、です。ここで、Mは励起子分子のエネルギーで、ETxは横波の励起子のエネルギーです。また、ΔLTは縦波と横波のエネルギーの差です。不思議な取り合わせだなと思いました。それぞれのエネルギーには波数による違いがありますが、とりあえず、すべて波数がゼロの値として、上の式に代入して整理すると、次の式が得られます。
Hasuoらが波数の効果も考慮して吟味しましたが、この関係式に問題はあまりないことも分かりました。しかし、この関係式がどのような光学過程によるのかについてはあまりはっきりとした考えはなく、そのままに時が過ぎました。しかし、時々思い出しては、なんだろうと、気になっていたのです。どう考えても、なにか重要な意味を示唆しているように思えて仕方がなかったのです。
それから、30年近くも経って、筆者はある便利なフリーソフト(RINEARN Graph 3D )を知りました。これは論文など印刷物に掲載されているグラフを数値として取り出し、色々な形式のグラフとして再表示するためのものです。筆者はかねてから感じていたことがありました。
自分たちの研究で、他人が過去に発表した論文に掲載されているグラフからその意味を著者の主張に沿って見て、その評価や吟味として自分たちの論文に引用するものです。しかし、著者たちの主張としてそのデータが使われるのですが、データそのものはその時の実験環境によって現れるすべての事実を記録しているので、元のデータはその主張とは別に多彩な自然の姿を記録しながらその時は活用されていなかったという可能性もありそうです。そこで、そのデータを数値として再利用できれば、その時は重要視されなかったことが、あたらしい事実として再評価できる可能性があり、データに刻まれた情報をアーカイブとして活用できるのではと感じました。実際、過去の実験を忠実に再現することは不可能ですし、文化財の復元のように、よほどのことがない限り試みる人はいないでしょう。しかし、この手法は、元の論文のグラフが事実を忠実に示している限り、ある意味経済的な再実験ともいえます。筆者はこれは史学での古文書を読むことに似ていると思いました。(もっとも、同時代的史料がその時代改竄されたものであれば価値はありません。しかし、その改竄は内容の吟味によって必ず後日分かってしまうことだと思います)
次のグラフはそうして上のグラフを再合成したものです。
横軸はで左に向かって大きくなります。 黒く縦に抜けている線が M L 発光 帯 の波数ゼロ(k=0)の励起子分子 からの 発光の位置を示し、少し左の縦に 薄く 点線に見える位置が M T 発光帯の波数ゼロ(k= 0)の発光の 位置 を示します。それぞれのスペクトルの右に添えた 数値は(単位は eV) で、左 に添えた マーカー は 横と縦の励起子の共鳴エネルギー と を示しています。
この図でわかるように、が と の間 の ときに 、これまで報告がなかったと思われる 強い発光 帯 が見え、その最大強度となるはが増すとそれに比例して 増加する ように見えます 。また、 この発光 帯 は、強いレーザー光を使った時に顕著に表れ、弱 くする と急激に弱くなる特徴があります。
がこの領域から 離れ る (図では手前と上の方に示されている と 、通常の M L 帯 と呼ばれてきた発光に似た形状の発光 帯 がみられます。
次の図はを縦軸 にして、に対して示したものです 。オレンジ色の縦線は横波励起子のエネルギー、横線はM L 帯(k=0)のエネルのエネルギーを示します。一方、水色のマーカーは縦波励起子のエネルギーとM T 発光帯の波数ゼロ(k= 0)のエネルギーを示します)
赤色の丸印は新しく見つかった発光帯のピークの位置を示します。なお、緑色の○印は従来から知られたM L 帯に似たに発光帯のピークの位置で、これについては後で述べます。灰色の二つの丸印はの光の強度を非常に弱くしたときの値です。
ここで、新しく見つかった発光を、次の図のような励起子分子を起点として光散乱過程として理解してみました。
もしこのような過程があるとすれば、この散乱はいろいろな波数(速度)の励起子分子が遷移の始状態になるので、観測される散乱光のスペクトルは励起子分子の速度分布を反映したものになります。面白いのは、がに等しいと、散乱光の形状はMT帯のように見え、またに等しいとML帯のように見えることです。つまり、この散乱過程は、励起子分子と励起子が同時に励起されるような多電子系の高いエネルギーの量子状態があることを予感させます。これは、この高い励起状態が方違いのお寺となって、縦と横の励起子に分解する過程だともいえそうです。
このような過程が起きるのでしょうか? このように実験で得られた上のような関係式を、初歩的な算術計算で変形するだけで、新しい励起子分子の関わる光学過程を想像できることは、なかなか楽しいことです。もちろんこの現象の解釈がこれだけであるかは将来の研究課題だと思います。
さて、上のグラフで緑色の〇印で表される発光も意外な性質があって、ここで紹介した光学過程と合わせれば、もう一つの興味深い可能性を想像できることが分かりました。
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