1 すばらしい「イカ」の目
投稿日 : 2021.06.17
光の科学を「イカのめだま」からするわけは、それがとても素晴らしくて、物理学の基礎を語る入口として最適だと思うからです。
次の図は私たちの目玉(上)と「イカ」の目玉(下)を比べたものです。
「レンズによって網膜(Retina)の上に外の景色の実像ができ、その明るさに応じて発生する電気信号が脳へ伝わる」という視覚の仕組みは、私たちと「イカ」とで基本的に同じです。
ところが大きく違うのことの一つは、私たちには色を感じる錐体と明るさを感じる桿体がありますが、「イカ」には錐体はなく、世間を白黒で見ていることです。
もう一つここで取り上げたい違いはレンズの構造です。私たちの目玉には水晶体という凸レンズがあり、その奥に球形のガラス体という透明で均質なゼリーのような組織があります。そして凸レンズで絞られる光線はガラス体の中を直線的に進みます。
ところが、「イカ」のレンズには水晶体がなく、ガラス体がレンズになっていて、その中では光は曲線を描いて進みます。
どうして、光がまっすぐに進んだり、曲がって進んだりするのでしょう?
これが私たちの出発点です。
その前にまず「イカの目玉」のレンズを実際に見てみましょう。「スルメイカ」の目を解剖してみました。料理に使うときに捨てられるものを使います。
次の写真の左端は目玉を取り出したものです。瞳の大きさに比べて大きいのは私たちと同じです。真ん中の写真は裏返して、筋肉や神経をハサミで丁寧に取り去ったものです。紫色の部分は網膜です。右端は網膜をうまく切り開いてレンズが見えるようにしたものです。このとき、汚れを取ろうとして水で流したりするとたちまち球形がくずれます。そっと周りに液体が流れ落ちるのを待ちます。また、あまりこの状態で放置すれば乾燥してレンズが曇ってしまいます。この辺がガラスのレンズと違うところです。イカに見合った緩衝液を用意すればいいのかも知れません。これをクレラップの上に置いてから、透明なアクリルの箱の上に置き、箱の下に絵を置いて上からスマホのカメラでみてみましょう。左の写真のように球レンズの裏面とレンズに映った像にピントが合っています。これからレンズの裏面に上下逆の実像ができていることがわかります。
実像のゆがみと上下を画像ソフトで修正すると右のようになります。ゆがみの修正が不十分なのでまだ像は歪んでいますが、「イカ」は脳で網膜に映る映像を正しく補正し、外の風景の動きを私たちよりはるかに広い視野で正しく見ているわけです。彼らの目は胴体の後ろにあります。しかし、胴体がとがっているので、ちょうどジェット戦闘機のコックピットから前を見て進んでいるようなものですから、胴体に邪魔されずに周りが見渡せるというわけです。
この「イカ」のレンズにレーザー光を横から通すと、次のように入れる位置を移動してもビームが後ろの球面の同じ場所に集まるのが分かります。丸いレンズの裏面はすっぽりと網膜で包まれていますので、広い角度で目に入ってくる外の景色を正確に神経の電気信号に変換して脳へ送ることができるのです。
「イカ」のレンズの成分や構造を調べた論文があります。それによれば、球の中心から表面に向かって動物の眼の水晶体の主成分であるクリスタチンというたんぱく質分子の集合状態が4層になっていて、中心ほど密度が高く、屈折率が中心から外側に向って連続的に小さくなっています。
「イカ」は人類が現れるずっと前からこんな素敵なレンズを使っていたのですね。生物の仕組みの素晴らしさにはいつでも驚嘆します。
「イカ」の目玉は、Luneburgレンズ、と呼ばれるレンズですが、面白い性能を持った似た構造のレンズがいろいろあります。何に使えるでしょう?
さて、これからが本題です。
二つのレンズで光がまっすく進んだり、曲がったりする原因はどうやら屈折率に関係しそうですね。
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余談:「イカ」から話を始めるわけにはもう一つ個人的な思い入れがあります。若いころ仙台で働いたことがありますが、その時、医学部の生理学の方と、通信関係の研究所で人工膜を研究している方と一緒にイカの研究をする機会がありました。「イカ」の網膜にあるロドプシンというたんぱく質に光があたると、そのたんぱく質の光を感じるレチナールという部分の形が変わり、その影響でそのたんぱく質の立体構造の形が変わって、細胞膜の内部と外部の電位が変化して神経に伝えられます。私たちは光があたって起きるロドプシンの初期過程の変化ではなく(これは生体の研究ではなく、生体物質の研究なので)、むしろ、生きたままの目で起きるロドプシンの生理的に最も重要な役割をする状態をよく調べたいと、実験をしたのです。そして、その重要なステージの直前に新しいステージがあることを見つけました、筆者はせっかく見つけたのだから名前をつけたらどうかと提案して、MesoーRhodopsinと命名したのです。その理由は湯川博士の予言した核力を媒介する中間子(Meson)のように、生理作用への重要な橋渡しをしているだろうという期待からでした。その後職場も変わり、仕事も変わったので、何十年もその名前のことをすっかり忘れていましたが、ある時、「タコ」のロドプシンについての論文の図に、ちょうど私たちが見つけたのと同じステージにあるロドプシンの名前として、その名前が使われているのをたまたま発見しました。どなたかが偶然同じ名前を付けられたのかも知れませんが、なんとなく命名者の一員として「イカ」に愛着が戻ったわけです。ちなみに当時「イカ」の目玉は仙台近郊の閖上という港の食品工場から入手していました。イカの塩辛の材料になるイカから取り出したものでした。
不幸なことに、このあたりはあの大津波によって大変な被害を被りました。その会社をネットで探しましたが、筆者の探した範囲では見つけることができませんでした。ご無事であればと願います。
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