8 電波は光と同じ
投稿日 : 2021.06.27
電気や磁気といえば、パッとなにが頭に浮かぶでしょう?
人間は大昔から色々な電気や磁気によって起きる自然現象を知っていました。17世紀ごろから色々な電気や磁気の法則がバラバラに発見され、発見者の名前にちなんだ法則がいろいろ発見されました。
1820年の中頃、エルステッドは、電線に電流を流すと、電線の周りに磁場ができることを発見しました。その話を聞いた物理学者のアンペールもその現象を確認しました。これは『アンペールの法則』と呼ばれています。
これらの法則の意味をじっくり考えて、電気や磁気の大方の性質を明らかにした学者がいます。マックスウェルです。
そうして、「電波というものがあって、遠くへ伝わること。さらに電波と光は同じものでまとめて『電磁波』というものだ」という理論を1865年に発表しました。
この考えに彼が気づいたヒントは、少し変な日本語ですが、「電流は電気が流れなくても流れ、真空中でも流れる」という事実でした。
このおかげで、私たちは宇宙空間をはるばる伝わってきた光や電波で、遠い宇宙の果ての仕組みが見えるようになりましたし、人工衛星と情報をやり取りできるようになりました。電気や磁気を統一的にまとめる理論は、「電磁気学」ですが、なかなか難しいので、ここではマックスウェルの考えを簡単に紹介するだけにとどめます。
マックスウェルは、フックの考えに立って、流体や気体を扱う流体力学という学問で使われる数学をうまく電磁気の理論に応用しました。
川の水は、上流のどこかに水源があって、そこから地球の重力によって流れ下ります。途中には滝があったり、渦ができたりします。電流も電気の流れですので、川の流れのように見ることができるからです。次の図はその様子を描いたものです。
上流の水源は電池の+極に相当します。また、下流は電池の-極へ電線で繋がっているようなものです。電流は+極から-極へ青色の矢印の方向に流れます。これは+の電荷をもったものが+極に反発して遠ざかるか、-の電荷をもったものが+極に引きつけられるためですが、実際の電線で電流を生むのは-の電荷をもった電子なので、日常生活でおなじみの電流の流れる方向と、電子の流れは真逆になります。
電流が流れると、エルステッドやアンペールが確かめたようにオレンジ色で示した方向に磁場ができます。
水の流れは重力ポテンシャルによって生まれる重力によりますが、電気の流れは、電荷に働くクーロン力を生むスカラーポテンシャルφと、電流が発生して磁場H(正しくは磁束密度B)を生むベクトルポテンシャルAです。ベクトル・ポテンシャルについてはこちらを参考に見てください。
さて、マックスウェルは流れの途中に湖があって、そこでは流れはないのに、実は流れることがあるという性質が電流にもあるという事実をヒントとして、新しいアイデアを彼は思いつきました。
そしてそのアイデアを基にして、それまでに発見されていた電気や磁気の法則を整理し、電場、磁場、電荷、電流が組み合わさった一組の連立方程式を導きました。これがマックスウェル方程式です。詳しくはネットや参考書、教科書に必ず書かれていますので、必要になれば調べてください。
マックスウェルの新しいアイデアを絵で描いてみました。理論的に正確ではありませんが、感じだけと思ってみてください。湖は大きくて、ほとんど水の流れはないとします。ちょうどスイッチがOFFのような感じです。そこでスイッチをONにしますと、左の壁(+電極です)のすぐ近くにいる-の電気を帯びたものが壁の方へ引き寄せられます。また+の電気を帯びたものは右へ引かれますが、隣にあった+はさらに右へ押され、一方、-の方は引き寄せられる、というようなことが繰り返されて、最後に、右の端(-の電極です)には+の電荷が集まり、左の端(+の電極です)には-の電荷が集まり、そこで変化は止まります。
そう考えると、流れはないのに電流が一時的に左から右へ流れたようになるわけです。
このような現象は時間的に変化する分極Pが発生したといいます。実はこのような現象は、湖の水がない(真空の)時にも起こります。真空中に一瞬ですが電気が流れるわけです。
分極の時間的に起きる変化に応じて、真空中でも伝わる電気と磁気を運ぶ電磁波という波があることをマックスウェルは予言しました。もうすこし詳しい話もこちらで補足しています。
右の表は電磁波の波長と名前をまとめたものです。
七色に見える部分の電磁波は可視光と呼ばれ、私たちが毎日景色を見ている光です。長い方は電波ですね。短い方はX線やガンマ線ですが、違いは波長の長さだけですべて電磁波です。
注)1879年、マックスウェルは自分の予言した電磁波が実証される前に48歳の若さで亡くなりました。
電磁波は1888年にドイツのヘルツによって実証されました。ヘルツの実験はYouTubeの解説で簡潔に説明がされています。
しかし、その彼も37歳の若さで病死しましたので、電波が通信の手段として使われる時代を見ることはできませんでした。
ヘルツは自分が電波の実証に成功する前に行った沢山の実験の内容を、論文の中で物語風に記しています。また、その論文の終わりに次のような謝辞が書かれています。ヘルツは当時ボン大学の講師だったハンガリー生まれのドイツ人のレーナルトに、「彼は自分の論文を全部読んで、直してくれただけでなく、まるで自分のことのようにとても興味を持ってくれた。彼のありがたい助けと暖かい親切に謝辞を書けることをとてもうれしく思う」と述べています。レーナルトはこの時31歳、後で述べるように、後年ヒットラー率いるナチスの一員として悲劇に積極的に加担しましたので、今では有名な悪者の一人として憎まれています。この謝辞に映る若いころの姿と大きく違ってしまったのです。どうしてでしょうね。
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