15 余談:フィリップ・レーナルト

投稿日 : 2021.07.18


アインシュタインは相対性理論で大成功を収めましたが、この理論にレーナルト(Philipp Eduard Anton von Lenard, 1862 –1947)というドイツの物理学者は非常に否定的な態度を示しました。

彼は陰極線管という真空管を発明した非常に腕の立つ実験物理学者でした。あるときレントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen、1845ー1923)が、自分の研究の為にその真空管を彼に作ってもらったそうです。そのおかげでレントゲンは今日X線とかレントゲン線とよばれる光を発見して1901年に論文を発表し、ノーベル物理学賞の第一号に輝きました。次の写真は彼の最初の論文に掲載された彼の妻の手のX線写真です。2b572745ec5cbbe3fd411f59cfb50c99eff0d64d.jpg薬指のリングが世間に大きなインパクトを与え、科学論文に載せる図をアッピーリングにすることが重要視される走りになったといわれています。

レーナルトは自分の装置がこの発見に大きく貢献しているにもかかわらず、レントゲンが正当に評価しなかったことに非常に憤りを感じたそうです。また彼は光電効果の物理的意味を最初に発見した人で、アインシュタインもその仕事を引用しています。しかし、光電効果でノーベル賞物理学賞を受けたのはアインシュタインだったので、レーナルトとしても憤懣やるかたない気持ちになったかもしれません。

時が進んで、彼はヒットラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(いわゆるナチ)の党員になり、ヒットラーの科学顧問として活動しました。彼はアインシュタインがユダヤ人であることもあって嫌悪感を示し、また、理論中心で物理学が進み、それにユダヤ系の学者たちが大きく貢献していることに反感を抱いたといわれています。彼は相対性原理そのものの考えにも異議を唱えています。もしレントゲンがレーナルトの貢献を正当に評価し、友好的な関係を維持できていれば、ユダヤ人のその後の悲劇や広島や長崎の悲劇もなかったかも知れません。また、今激しい戦闘が拡大しているパレスチナの紛争も起きなかったといえます。

科学研究の最先端では、このような科学者の個人的な感情が大きく社会に影響することがあり、レーナルトの場合は取り返しのつかない惨劇を生んでしまいました。科学者は他人の成果を自分の論文で引用する時に、自分の利己的な感情が反映することがありがちかもしれません。しかし、自分の研究の動機付けになった他人の成果は、仮にその論文が間違っていても、またライバルや生理的に気に食わない相手の成果でも、自分の研究の動機をもらったのですから、それに対して敬意を示して引用することが、本人の予想できない悲劇を未然に防ぐ研究者ができる数少ない残された方法に思えます。

筆者はボルフ(Stefan L. Wolff, 1952- )の論文に述べられているフレーズが非常に印象的に感じました。

”Citation is not a working technique, but also an ethics, the acknowledgement of obligations and a respect for truth”

「論文に(他人の論文を)引用することは, 論文作成のための技術的作業だけではなく、倫理である。つまり相手を感謝しなければならない義務であり、そして真理に対する敬意の印である」

Physicists in the “Krieg der Geister”: Wilhelm Wien’s “Proclamation”,
Historical Studies in the Physical and Biological Sciences 33, pp. 337–368.2003
Available online: http://hsns.ucpress.edu/content/33/2/337.

現在科学者や研究者たちは、いろいろな理由で、できるだけ効果的な研究成果を速く発表して自分たちで独り占めしたいと焦っています。そのためにj研究論文の改竄や剽窃などが問題になることが多くなっています。さらに、AIの活用でますます研究成果や論文の評価が難しくなってくるかも知れません。経済優先の世の中では、この傾向は変わりそうにありません。最低限レーナルトの例に習わないようにしてほしいものです。