25 兄からのプレゼント
投稿日 : 2021.09.01
Louis-Cesar-Victor-Maurice 6th duc de Broglieという長い名前のフランスの貴族がいました。彼は名門ド・ブロイ家の6代当主で、自分の館に実験室を作ってX線の研究をしていました。
1911年の秋、ベルギーのブラッセルでソルベー会議という、量子力学の発展に非常に大きく寄与したといわれる会議の第一回が開かれました。彼はそのとき書記を務めフランス語版の記録を編纂しました。
この会議には、M.プランク、キュリー夫人、アインシュタイン、H.ローレンツ、P.ランジュバン・・・といった当時の西ヨーロッパの有力な学者たちが、会議のスポンサーだった実業家のソルベーに招待されました。会議の主な話題はプランクの輻射公式と量子仮説のことでした。
ソルベーはアンモニア・ソーダ法というガラスの原料となる炭酸ソーダを作る方法(ソルベー法)を考案して工業化した事業家で、この会議を主催しただけでなく、従業員の有給休暇制度などを考案し、利益だけを優先する昨今の大企業の経営者とは一味違っていたことでも知られています。
この貴族にはその頃19歳だった弟がいました。名前はやはり長くて、Louis Victor Pierre Raymond 7th duc de Broglieで、後に当主を継いだので7世となりました。彼が物理学の主役を演ずる一人になった、ド・ブロイです。
彼はパリのソルボンヌ大学で歴史を勉強していましたが、兄が編纂したソルベー会議の会議録を読んで大興奮! 物理学の道に転向して1924年に博士論文を提出しました。
しかし、審査した教授たちはさっぱり内容が理解できませんでした。幸いなことに、ランジュバン(Paul Langevin、1872-1946)という教授が、「ウーン、よくわからんが、独創的だからいいことにしよう」と粋な判断を下して合格にしてくれたそうです。「もし」の話は意味がありませんが、このときこの教授が、「たわけたことをいうでない、ノン」と判断したら、その後の物理学はどうなっていたかはわかりません。
この教授は磁性体の理論でよく知られる関数(ランジュバン関数)を考案した人で、ラジウムの発見で有名であるだけでなく、キュリー則としても名の残るキュリー夫人(Maria Salomea Skłodowska-Curie, 1867 - 1934)とも浅からぬ縁のあった学者です。(注:小島智恵子:日本物理学会誌60巻 814ページ、2005、<歴史の小径>)
ド・ブロイは、「質量m、速度vで運動する電子を、振動数の違う波を重ね合わせて発生する「うなり」(波束:wave packet)が移動しているのではないかと考え、光学の「フェルマーの原理」と力学の「最小作用(モーペルテュイの)原理」を考え併せ、「その電子は波長が と書ける波の性質も持つ」と考えました。ここでhはプランク定数です。この波長は今日ド・ブロイ波長と呼ばれています。
mvは運動量pですから、と書き直せます。ここでℏはhを2πで割った数です。彼のこの奇想天外なアイデアは量子力学が生まれる起爆剤になりました。
ド・ブロイはこの業績によって1929年にノーベル物理学賞を受賞しました。その時の講演でこのアイデアを考えた動機を述べています。「プランクが光のエネルギーが不連続な量hνで表されるから、光がまるで粒子のようなものにも思える。でもニュートンの考えた力学では、(一定の速度で運動する)粒子には波動の特長である振動数が含まれるような要素が見当たらない。だから粒子と波動の性質を同時に扱える理論がどうしても必要だと考えた」
ド・ブロイの考えによると、電子だけでなく質量をもつすべての物体にも波の性質があるはずで、その証拠に電子線や中性子線には光同様、回折や干渉現象という波の特徴を示す現象があり、更にフラーレン(C60)というサッカーボールのような形の60個の炭素原子からできた丸い分子も干渉が起きることが検証されています。次はウイルスだろうと、当時いわれたものです。
(イラスト:ぷにつく)
余談:ウイルスの目方はおよそ10-18kgだそうです。もしこの1個のウイルスが毎秒0.1ミクロン=10-7mの速さで動いていると、hがおよそ7・10-34J・secなので、対応するド・ブロイ波の波長は、およそ10-8m(10ナノメートル)になるはずです。どうぞ検算お願いします。今や全世界に広がって深刻な影響を及ぼしているコロナウイルスの直径はおよそ100から200ナノメートルといわれています。もし生体内でウイルスのド・ブロイ波長が影響するような物理現象があると、どのような影響が生命活動にあるでしょう。
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