31-神様はさいころを振っている
投稿日 : 2021.09.30
確率でしか物事を説明できないとは頼りない、何かもっと重要なことを見落としているのではないの? 波動関数は数学的な便利さのためのものではないの?
そう考える人々もいました。その代表挌がアインシュタインでした。実はシュレーディンガーだってそう思ったのです。
1935年、アインシュタインはEinstein–Podolsky–Rosen paradox (EPR paradox)という有名な論文を発表して、量子力学の不完全さを指摘しました。
その翌年、シュレーディンガーもネコの思考実験で量子力学に不備があると述べました。これは「シュレーディンガーの猫」として、量子力学の不思議さや難解さを表す象徴のようになっています。どんな話なのか、こちらを先にみてみましょう。(イラスト:ぷにつく)
窓のない部屋に猫が一匹入っています。この部屋には放射性物質が置いてあり、そこから放射線が出て検出器が働けば毒ガスがでて、猫は確実に殺されることになっています。窓がないので外から中の様子は分かりません。放射性物質からいつ放射線が出るかも全く予想できませんので、猫は生きているか死んでいるかは、部屋の中をどうにかして見て初めてわかるというのです。ですから、量子力学の考えによれば、猫の波動関数は死んでいる猫の波動関数と生きている猫の波動関数の和になります。
つまり、半分の確率で生きていて、残りの半分が死んでいるという曖昧な存在が現実の姿で、確かめるまで分からないのが自然の姿なのだ、というのです。でも、そんな猫は現実にはあり得ない。ちょっと変じゃないの? そうシュレーディンガーは感じていたのでしょう。上手い理論を思いついて、万事うまくいくものの、でもねー、本当かなと発見者が思うのは、むしろ健全だなあ、そう筆者は思います。
アインシュタインたちのクレームはもっと深刻なことで、EPRパラドックスと呼ばれます。元の論文はなかなか難解で、普通はつぎのようなボーム(David Joseph Bohm,1917-1992)という学者がわかりやすくした例で説明されます。
実験室の中で、ある量子◎が、別の2つの同じ量子〇に分裂して、正反対の方向に同じ速さで飛ぶ実験をしています。量子◎は、二つの正反対の性質をもった量子の対からできています。ここではそれを色違いの互いに逆方向を向いた矢印で表します。(実際は後でゆっくり紹介するつもりのスピンという量子の持つ不思議な性質によります)そして、◎の中では、互いの矢印が反対向きですがどうなっているかはわかりません。
量子〇が左右に分かれて飛ぶときには、それぞれが矢印を一個もって離れますが、どちらがどの矢印を持つかは決まっていませんし、矢印の方向も決まっていません。しかし、どんな場合も赤と青の矢印は必ず反対向きに保たれているという自然現象は現実にあります。量子力学では、〇のもっている矢印の向きは測るまではわからないと考えます。この状況は部屋の中を見ない限り猫が生きているか死んでいるかがわからないのと同じです。
実験室の中にAという測定器があって、この装置は赤の矢印が上向きの〇が飛んで来た時だけ記録するようになっています。一方、Bははるか離れた場所(例えば火星)に置かれ、下向きの青い矢印だけを測定できます。
◎が分裂する場所のすぐそばにAはありますので、Aに〇が来たと分かった時、反対側へ飛んだ〇はまだ実験室から出ていませんので、Bには届いていません。
今、A(AはAliceの頭文字なので、アリスとした論文が多いです)は〇の矢印が上向きの矢印を検出したとしましょう。B(同様に、Bobとした論文が多いです)へ向かった〇の矢印がどの向きかは、〇が火星に届いてBの装置で測るまでは分からないはずです。でも、どんなときにもそれぞれの〇の持っている矢印の方向はお互い真逆ですから、Aliceが上向きを検出した瞬間、Bobが測定して知る前に〇の矢印の向きは下向きだと決まっているというのが量子力学の教えるところです。しかし、Aliceが自分の測定した結果を電波でBobに連絡しても、地球から火星に届くまでに4分ぐらいかかるはずですから、Aliceの結果がBobに瞬間に伝わるとしたら、光速より速いものはないという相対性原理の根本に反します。
それはないだろう。アインシュタインが思うのも尤もですね。むしろ、量子力学から得られる結果と同じ結果が、誰もまだ知らない要素(隠れた変数と呼ばれます)を考えに入れることによって導かれるのではと考えました。もしそうなら、自然現象が波動関数によって確率でしか説明できないという、アバウトな考えをしなくてもよいのです。「神様はサイコロを振らない。(もっときちんとこうだと指し示されるだろう)」と期待したわけです。この有名な言葉は、ボルンとの議論ででたそうです。
しかし、世の中には凄い人がいるものだと筆者はいつも思うのですが、1964年になってイギリスの物理学者ベル(John Stewart Bell, 1928-1990)は、量子力学の考え方が正しいのか、アインシュタインの考えが正しいのかを判定できるという理論を提案しました。そして、隠れた変数を考えに入れても、量子力学の結果と同じ結果は絶対に導けないことを証明しました。更にすごいのは、実際の実験で決着をつける方法も提案しました。その方法とは次のようなものです。
Aliceは〇の持つ矢印が上向きであることを測れる装置を用意します。一方、Bobは上向きから下向きまで角度を変えて〇の矢印の向きを測れる装置を用意します。そして、Aliceが、上向き、Bobが上向きからθ傾いた矢印を観測する確率、P[Alice(θ=0,Bob(θ)]、を量子力学の予想と、隠れた変数があるという理論の予想を理論的に吟味しました。その結果、両方の理論の結果をすべての角度θで一致させることは決してできないことを示しました。つまり違いがあることは、実験でどちらかを確かめられるわけです。少し詳しい説明はこちらで補足しました。
1982年、フランスのアスペ(Alain Aspect, 1947 - )らは光の偏光を使って、実際にベルの考えを注意深い実験で吟味した結果、ベルの考えは正しく、量子力学の考え(波動関数の統計的解釈)が正しいことを実証しました。「神様はサイコロを振っておられる」というアインシュタインにとっては残念な結果になりました。とにかくすべての物理学の実験で、アインシュタインは今までの所、全敗です。
もし、読者の中でもっともっと凄いアイデアで、これをひっくり返らせることに成功する方おられれば、量子力学の根幹は覆って大騒ぎが起きるでしょう。ちょっとその事態を見たい気もしますね。
1983年、東京で開かれた『量子力学の基礎と新技術』という国際会議にアスペ氏が招待されました。筆者がこの催しに出席した経緯は後で少しお話しますが、それが縁でいろいろ話をする機会がありました。そして、ある時アスペ氏の実験室を訪ねる機会がありました。彼からEPRのために使った実験装置を見せてもらって、とても興味深かったものです。
その時、EPRの実験を始めた動機を尋ねてみました。彼は、自分はアルジェリア(彼の履歴書にはカメルーンとあります。筆者が聞き間違えたようです)で教師をしていたことがあり、それからパリに出たときに何のテーマで研究しようかなあと。そして、このテーマならさすがに誰もやりそうにないと思ったのでねえ・・」と笑顔だったのを憶えています。
彼は一度の実験で成功したわけではなく、実験結果に対する厳しいクレームを丁寧に受けとめ、その都度批判に耐える実験方法の改良を繰り返して、とうとう文句のつけようのない実験結果を得たのです。一言で成功したで済ませなかったことが、彼らの論文を読めばひしひし伝わります。
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