33-4 主役はエバさん
投稿日 : 2021.10.22
アリスとボブの最大の敵は、姿が見えない盗聴者です。盗聴者の英語はEavesdropperですので、それをもじったEvaが盗聴者として使われています。世に大勢おられるエバさんには迷惑な命名です。しかし、二人はエバから自分たちの秘密情報を守れることに自信を持っています。
というのは、量子力学によれば、盗聴はできてもすぐに発覚することが原理的に知られているからです。つまり、そもそも「変な猫」状態は、中を覗けない部屋の中の猫についてのシュレーディンガー方程式の解です。したがって、ちょっと窓を開けて中を覗くとか、手を突っ込むとかすれば、猫の環境は大なり小なり変化します。すると、「方違い」時の話のように、方程式に外部との相互作用による効果を考慮して、改めて方程式を解き直すことが必要になります。あの時は電子と電磁場との相互作用を考えました。つまり、中を覗くや必ず猫が多少とも変化し、元の状態は変質します。これは元の「変な猫」の状態の写真が撮れないことで、コピーができないと呼ばれたりします。ですから、「変な猫」はこっそり盗聴されると変化してしまうので、アリスやボブにはエバがいることがわかってしまうというわけです。
この量子力学の特徴は「量子力学の観測の問題」と呼ばれていて、「何かを見ると、見ることによって元の姿が違ってしまうので、本当の姿は絶対に見えないものだ」とか、いや、「誰が見るとは関係なく、元の姿は厳然として実在するものだ」とか、古くからの哲学的論争にもなっている問題です。(なかなかややこしい理論で、その道の研究者たちが口角泡を飛ばしてなされる議論を聴くと、議論についていくのが筆者には大変だった記憶があります)
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という基本命題にもかかわる難しい問題です:https://en.wikipedia.org/wiki/Cogito,_ergo_sum(解説は英文の方が丁寧です)
というわけで、この頼りになりそうなアイテムで私たちを守ってくれるアリスとボブは、われらのありがたい味方、善玉ですから、悪玉のエバ対策で頑張ってもらいたいわけで、これまでどのようなエバ対策がなされてきたのかを知ることは興味深いことです。ですから、その実情をここで考えてみることは必要に思えます。しかし、筆者はどうも気が進みません。
分からないからだろう? それも正直あります。しかし、ちょっとここで考えてしまったのです。秘密の情報をどうしても守りたいと思うのは本当は誰だろう?と。
アリスとボブは実は悪玉のグルではなかろうか? エバさんこそが善玉では?
また、どう迫ってくるかが分からない敵を想定して防衛に努めるミッションは、「やりがいがあることで、余人をもって替えられないので・・」とおだてられるかもしれないですが、でも、それより思いっきり知恵を絞って善玉のエバさんを開発する方がよほど刺激的で面白そう。見る立場を逆転した方が実りが多いのではなかろうかと。
そう思って筆を止めたとき、興味深い論文を発見しました。もう10年以上前に発表されている論文なので、今はもう古くて意味がなくなっているかもしれませんが、その論文で登場するエバさんを紹介します。
この論文は、シンガポールとノールウェイの研究者たちの共同研究による2011年に発表されたものです。表題は「Full-field implementation of a perfect eavesdropper on a quantum cryptography system (量子暗号システムへの完全無欠のエバの実装)」で、ゲルハルトという人をトップオーサーとしたものです。
この論文の主旨は一言で言えば、「なりすましのボブを作って、アリスたちに気づかれずに情報を失敬する装置が実際に作れるよ」というものです。
その手口は、アリスの測定結果(凸か凹)に対するボブが検出するはずの(凹と凸)を読み取り、その凸凹のコピーを本当のボブへ送って、知らんぷりをしようというもののようです。ボブは本来受け取るべき信号とそっくりのものを、なりすましのボブから受け取るので、アリスとボブは通常通りの量子鍵として「もどき」を作ってしまうので、エバさんの存在に気が付かないというもので、このなりすましボブを実際の通信システムに組み込めたというのです。この研究を専門的に評価することは筆者には無理ですが、しかし、考え方としてなるほどとちょっと愉快になりました。
どんな対抗策をアリスとボブ側はしたのでしょう? 筆者はまだそれを専門家の方に伺っていません。
そういうわけで、論文の著者たちは、「量子暗号システムには、普通の通信システムを併用しなくてはならないという弱点があり、そこを突くことが実際にできたので、理論と現実のギャップを埋めるには、この点をもっと何とかしなくてはならない」と警告しています。
こんな話を知って、筆者が想像した我がエバさんを絵に描いてみました。アリスとボブはつるんで、ある悪だくみを実行したいのですが、どうも連絡がうまく行かなくてイライラしています。それもそのはず、我がエバさんが立ちはだかっているのです。でも彼女はリゾート地で、ただのんびりしているだけです。ときどき音楽で量子暗号にノイズを加えて様子を眺めたりしています。どうして様子が分かるのでしょうね?
実はエバには妹がいて、妹は彼らの一味にもぐりこんでいるスパイです。彼女の本業は人気抜群のDJで、SNSを通じて世界中にファンを持って毎日大好評です。姉のエバもSNSで自分の曲を流して遊んでいますが、当然それを妹も毎日聴いています。彼らは音楽に隠された暗号を通じて常時交信しているので、アリスが送ってボブが読み取った秘密情報をいつもそっくり横取りしています。さて、アリスたちはこの状況を暴けるでしょうか? とにかく、歴史的に秘密が漏れるのは、大抵は身内からですから。ボブ大丈夫?というわけです。
*筆者が「量子暗号」についてこの拙文を書くについて、旧知の北大の富田章久さんからいろいろ教えて頂きました。彼のホームページではこの分野が読みやすく説明されていますので、興味ある皆さんはぜひご一読ください。またもっと詳しく勉強されたい方には、彼の丁寧な教科書もあります。量子力学の入門書を片手に読まれるとなお興味深いと思います。なお、この拙文の内容についての文責は筆者だけにあることを念のため付け加えておきます。
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