都の大スキャンダル:イケメン貴族の処刑(その1)

投稿日 : 2023.08.31


慶長14年(1609)の秋、都で大人気だったプレイボーイ、猪熊教利(いのくま のりとし)、27歳が処刑されました。

彼は、時の後陽成天皇に寵愛されていた美人女官の広橋の局(大納言兼藤の娘)や、唐橋の局(中院大納言道村の妹)と、仲間の男性公卿(高級官僚?)たちを自分のマンションへ呼び込んで、くりかえし乱交パーティーを開いていたことが天皇の逆鱗に触れたのです。

この宮廷スキャンダルは、今なら週刊誌やワイドショーの絶好のネタですが、当時の都でも知れわたっていたようです。しかし、誰も天皇に忖度して言わなかったので、天皇だけがご存じなかったようです。ところが、御所の奴婢(高敦はそう記しています)が内部告発、天皇の耳に。そこでこれが大スキャンダルに発展しました。

この事件は「猪熊事件」として、ウィキペディアにも詳しい解説があります。また、高敦もかなり詳しくこの事件の顛末を紹介しています。

木村洋子氏による『官女流罪事件(猪熊事件)の一側面』(歴史と人物:江戸期のおんな考、第10号、1999年、p.44)によれば、この事件は、後世に大きな政治的影響を及ぼしたものとして、いろいろな研究がおこなわれていて、このプレイボーイ、猪熊君を中心に考察がされてきたそうです。

一方、木村氏の研究は違う角度からこの事件を考察し、もう一人の主要人物である女官広橋の局に焦点を当てています。その要点は後で触れるとして、ここでは事件の経過ではなく、この教利君なる人物が危険を冒して、結局若くして生涯を終えた背景を、筆者の私見としてメモしてみました。

この事件は一見単純なお話に見えますが、その背景はなかなか複雑で深いようです。これからウィキペディアの説明と高敦の記述などを比較しながらこの事件を眺めてみます。